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サムライ一家の 〜そしてボクラは家を建てるのだ〜 /モクジのページへ

第6話:ついに土地/建物契約!


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《前回までのあらすじ》

家でも買うか!と気合を入れてみて早数ヶ月。
いろいろなことがあったが、この今、検討している分譲地は素敵だな〜と思い出してきたサムライファミリー。

湧き出てくる不安に対し、最大限の金銭面も含めた営業努力をしてくるミサワホーム。

数度にわたる現地見学。
帰りに寄ったファミリーレストラン(レッドロブスター)などで、席につくなり、家族がバラバラに“お話”もせず・・・自分の持ってきた漫画を読みふける不思議な家族(クリック!)などを見たりして、
『早く・・・家族で広いお庭で仲良く遊んでいきたい!楽しく遊びたい!せめて食事の時はお話がいっぱいの家族にしたい!』
と、いう思いを日増しに強めるサムライ。

そんな中、様々な内的外的なハードルをクリアしてきたサムライファミリーに最後の難関が待っていたのであった…

振り向いた僕には妻の渋〜い顔(クリック!)が飛び込んできた。
僕は“ひろ〜い(うそ)”敷地を、雑草を飛び越しながら、まるで欽ちゃんのように(クリック!)ヒョイヒョイッと妻に近づいて行った。

「なんかやばい?」
僕が覗き込むように聞くと、妻は目を西の方に向けた。
その視線の先には、道を挟んで3軒ほど隣のセキスイハウスの家・・・外構工事でちょうど道路への排水のあたりを掘っていた。
「この分譲地に着いた時は、環境はキレイだな・・・って・・・まあまあいい感じだったんだけど・・・。あれを見た瞬間・・・。しかもあの工事の職人さんとなんか話しだして・・・。
とりあえず・・・あれ見てきてよ・・・」

「???・・・あの工事のこと?」
僕が見に行ったその工事は、なにやら縦に走る配管のあたりをそれに沿って掘り起こしているものだった。
家は既に出来ていて、家周り(おそらく玄関など)を作っている最中に見えた。
前日からの雨だろうか?1.5-2.0メートルほど掘られた穴には、数十cmの泥水が砂利と混ざって、その配管を囲むように溜まっていた。
おそらく作業の邪魔となる水を掻きだしたのだろう。穴の隣に置かれた猫車(工事用の一輪車・・・クリック!)には泥水が貯められていた。

「みてきたけど?」
で・・・なにが問題?と僕が妻に言うとお義父さんが近づいてきた。

「いや〜♪弱いね。もうあの穴見ただろ?水がぴゅ―ぴゅ―出てたよ。」
「え?あれって昨日の雨じゃないんですか?」
予想外の言葉に僕は一瞬戸惑った。

「雨があんなに溜まんないよ〜。あの職人に『よく水が出るね〜』って言ったら、なんとかブツブツって言ってたけどよく聞こえなかったよ。でもこりゃ地面から出てるんだよ。地盤弱い弱い〜」
「……………………………………….」ボクラは二人で顔を見合わせた。

この分譲地6-7キロ東側には、日本有数の一級河川が流れている。
その所為もあるのかな?分譲地から歩いていける距離には、貯水地を真ん中に持つキレイな公園がある(クリック!)
『分譲地を見終わったら、その公園なんかも見てもらおうかな〜?ついでに少し息子も遊んだりして〜』ナ〜ンテ思っていたのだが、すっかりそんな雰囲気では無くなってしまい・・・
もうすっかりお義父さんの車で今すぐ帰る雰囲気になっていた。

「お義父さんに地盤調査の報告書見せて…ミサワさんから聞いた話とか説明したの?」
僕は妻の脇腹を肘でコンコンした。
「だって・・・お父さんああいう書類みないもん。特に一度こうだって思ったら・・・もう不可能・・・」

帰りの車の中では、僕はあえて明るく振舞った(後日談では・・・すっかりそれはバレバレだったらしく、家に帰ったあと、お義父さんはお義母さんに『ちょっと言い方がきつ過ぎです!サムライさんちょっとがっくりきてたじゃない!』と怒られたらしい)
「でもボクラがミサワさんから受けた地盤調査では整地の2メートルは普通の分譲地より下手すりゃ硬い数値が出てるらしいんですよね〜。あともしかすると調査結果では水位が1.7メートルのところにあったから・・・それの影響とかあるんですかね〜♪」

「数字がどうのこうのあったって、見た目が一番確かだよ」
とヒトコト、お義父さん。
「駄目よ。サムライさん♪お父さん一回思ったらもう何言ってもだめだめ♪私はミサワとかセキスイとか大きなとこが大丈夫っていうんだから大丈夫だと思うけどね〜♪」
そして、あくまでも明るいお義母さんだった。

妻が携帯電話でミサワホームのW辺さんに電話をして、この件についてどういうことなのか確認をした。
偶然にも(実は偶然ではなく、僕のこの土地に関する質問“一級河川が氾濫した時のハザードマップなどは役所が出したりしてますか?など等”に答える為、近くの管轄役所に行っていたらしい)、W辺さんは分譲地の近くにいるとのことだった。そこで…実際に見に行って、折り返し電話をするとのことだった。

その10数分後・・・♪ぴんひょろぴーん♪ちゃらちゃらり〜♪
軽快だかなんだかわからない、妻の携帯電話の着メロが鳴った。

「ハイ・・・ハイ・・・ハイ・・・ハイ・・・」
数分間、W辺さんと電話した妻はこう言った。
「W辺さん一般の人のふりして、工事のおじさんに『けっこう水が溜まってるみたいですけど、この分譲地は地盤弱いんですか?』って聞いたんだって。そしたら『いや、配水のとこ掘ってる時は普通に出るよ〜』って答えだったらしいんだけど・・・」

「そんなこたぁないよ。ごまかしてるだけだって。それで買っちゃって何が起こっても、一般人なんて大企業と喧嘩したって勝てるわけ無いんだから。」
お母さんの言うとおり、何を言ってももう通用しなかった。但しお父さんはこうも言っていた。
「まあ、でも、海の上に住んでいる人もいるんだから。最後に決めるのはサムライ家族だよ。お父さんは見たまま感じたままを言っただけだから」

「とりあえず、もう一度きっちり、ミサワさんの見解を聞こうよ。ちゃんとデータとか出してもらって。ミサワさんだって、あの分譲地を20年保証つけて売るんだから。ねえ・・・」
とりあえず冷静な態度を取る“振りをする”僕だった。

家に帰ってから妻と僕は今後どうするか・・・少し喧嘩気味になりながらも話をした。

妻の意見は、『結局私たちが決めればいいんじゃない?お父さんだって最後はお前らが決めろって言ってるんだから。私たちが決めたらお父さんは駄目とは言わない人だから。それにもう、どんな新しい資料が出たってお父さんの意見は変わらないよ』

それじゃあ、僕は納得がいかなかった。

妥協でもしぶしぶでもいいから、今の状態ではなく、この分譲地をやめるにしろ購入するにしろ、家族、そして家族の周り全体の納得が欲しかった。
そして当然、今のこのモヤモヤを吹き飛ばす根拠となる、“何か”が僕自身欲しかった。
最終的な判断は、誰の影響も受けずに、僕自身が“しれっと”決めれる・・・そんな環境が欲しかった。

ちょうど、明日はまたミサワ三銃士が、現時点で最終の平面プランや見積もりを、夜、僕が会社から帰ってきた後に持ってくることになっていた。

「ミサワ三銃士に少し早く来て貰おう。そして君とお義父さんに再度、地盤調査に立脚したあそこの地盤の件やミサワの構造に対する20年保証について説明してもらおうよ。
僕はその時間はまだ会社から戻って来れないかも知れないけど、ぜひお義父さんと一緒に聞いてくれないか?
もしそれで君が納得する説明なら、僕は納得する。実際に見ないと判断しないお義父さんだけど、まだミサワさんは実際に見てないじゃないか」

次の日はあっという間にやってきた。
僕は会社にいても、今日の会談のことが不安で不安でしょうがなかった。
なにが不安・・・といえば、別に会談の結果についてではなかった。
それよりも・・・ミサワホームの説明の仕方についてが不安だった。“変な営業的なごまかし”などが入り、感情的にすべてがご破算になるのが不安だったのである。

最終的な納得は僕自身が僕自身のためにできる環境がもたらされるために・・・。
老婆心も手伝って、僕はミサワのW辺さんにメールを送った。

本来、夫婦間の話し合いで出た結論で言えば、これはちょっとルール違反だったかもしれない。
ありのままを話してもらおう・・・というのが、今日の趣旨だったからだ。
但し、僕がその会談に出れない・・・という不安は僕をパソコンに向かわせた。

《W辺さんへのメールの抜粋》

さて、本日五時に我が家のほうへいらしていただけるということで何度も本当に申し訳ございません。
私、本日4時から会議が入っておりまして、どうしても間に合うことは出来ないと思いますが、妻と妻のお父様と進行しておいていただければ幸いに存じます。

さて、本日の地盤の話ですが、
お父様は不動産の物件の目利きには優れているお方で、またこだわりも非常に持っております。実際にあの辺りは関東ローム層地帯から外れ、御社の地盤調査書にもありましたように沖積層の後背湿地であること、そして宅地用開発のために盛土をしていることから、サーチャージで固めているとは言え、一般的には軟弱地盤の上であると言わざるを得ないでしょう。
過去は電車の操車場だったと言うことですが、その前は田んぼだった可能性もあるでしょうし。

とはいっても良い地盤や軟弱地盤とはいってもそこには程度があるであろう・・・と私自身は思っております。
つまり良い悪いとはあくまで土の上に建造物を立てる以上(それが岩盤の上に直接立てるのなら違うでしょうが)、比較や程度の問題ではないかと思っているのです。

そこで、本日、あくまでも軟弱地盤であろう土地・・・という前提から話を進められたほうがいいと私は、老婆心ながら思っております。おそらくお父様も実際に、深いご経験のなかから自分の目で見たものなので、単純にいい!と言う話で説得されるのは不可能ではあろうと思いますし、話がかみ合わずに終わる可能性もありますし、妻と私ののこのモヤモヤを吹き飛ばす話にはならないと思います。

それであれば実際に軟弱と言われる土地に、三井とミサワ/セキスイはこのような処理を施している。盛土に際してはこのような処理がなされているので、その下に沖積層のスレートがあるが、大丈夫。また電車の車庫は何年あり盛土以下の粘土層はかなり踏み固められていることが想定される。赤土ではないので水はけは悪いが、排水としてはこのような処理がなされている・・・。
さらに,万が一の不同沈下の際にはミサワは20年保障で、具体的にはこうこうこういった場合にどの程度保障される(具体的な保障の実例とかあったら最高です。保障内容だけは具体的に細かく教えていただきたいと思います)

つまり、あそこは「いい!いい!」と言って…もしくは言われて買うのではなく、建売ではなく、ミサワの立派のな蔵の家を建てたいなあ・・・と言うところから我々は始まり、であれば実家の近くや都心への近さは予算的見地からもある程度妥協しなければならない・・・という形で契約を検討するのです。それにもう一個の妥協点として、地盤も若干軟弱な土地かあ・・・だけどミサワと三井がここまで改良しているみたいだし、しかもミサワはここまで保障があるし・・・という帰結としての納得がしたいわけなのです。

ただ、誤解して欲しくないのは、我々夫婦も最後の決定への苦悶をしております。特に実際に妻の悩みはぜんぜん僕以上だと思っております。

父親やお父様を説得したい!ということが目的なのではなく、まだ決めかねている我々が納得したいのだ・・・ということをご理解よろしくお願いいたします。

仕事を早めに切り上げ、家に着いたのは7時を少し回った頃だった。
「あ、おじゃましてま〜す!!」
キラっと、幹久の元気な声がした。

「あれ?子サムライは?」
僕は妻に聞いた。
「ジジの家に行く〜って、遊びに行っちゃった。」

僕は靴を脱ぎながら、妻を玄関に呼び寄せた。
「どうだった?」

「うん。かなり誠意をもって、ミサワさんも話してくれたと思う。
いきなり最初に設計のU村さんが『確かにお父様のおっしゃる通り、あそこは一般的に弱い地盤地帯と言われています』って、とこから話がスタートしたから。お父さんも頷いて聞いてたし。まあ、それでお父さんが納得した・・・とは思わないけど、いくらかの妥協できる感覚は持って帰ったと思うよ。
あの掘ってたとこは雨水排水のところを作ってたんだって。だから水はどうしても溜まるんだけど、水はけが悪いのもあのエリア全般としては事実です・・・と言っていた。でもいい説明だったよ♪」

一応この難関を、ボクラはなんとなく飛び越したようだった。

「信念をお持ちのいいお父様ですね〜」
そんな和やかな雰囲気で(かなり心身ともに疲れ果てたような三銃士ではあったが・・・)、設備などの細かい打ち合わせを行い、だいたいの契約の為の暫定金額が固まってきた(実際はまだ少々予算を飛び出ていた。けど、そんなのは契約が決まったらまた図面ごと考え直せばいいや〜と、いう思いだった♪)

でも・・・なぜか僕は・・・ほっとはしなかった。
決定まではあと数日しかない。
そして、その数日こそ、ついにボクラが決める番なのだ。

次のミサワ三銃士との打ち合わせは11/29日・・・そう。その日は約束の契約か否かを判断する前日である。ミサワサイドとしては契約のために、契約用書類一式を作成して待つのだそうだ。

さて・・・ボクラはイッタイナニヲハナシアエバイインダ?


・・・

11/29日は土曜日だった。
仕事の用事があって出かけた帰りに僕はミサワホームの事務所に寄り、契約書類一式(図面や見積もりなどなど)の最終確認をした。
まだボクラは結論が出ていなかった。
一応、契約した意思が固まった時のために、申込金203万円を妻が銀行から下ろしていた。

「すいませんが、まだボクラは結論が出ていないんです。明日の昼までに待ってくれないでしょうか?契約するにしてもしないにしても・・・昼までには電話させていただきます。ここまでやっていただきまして大変申し訳ないんですが、お待ちください・・・」
僕は頭を下げた。

「わかりました。それではお電話をお待ちしております。万が一契約・・・と、言うことになりましたら、5時にサイサンミサワホームの本社で、当社の土地担当のものと、建物担当のものと、W辺でお待ちさせていただきます。」
幹久が相変わらずにこやかに言った。
「ところで・・・」
と、W辺さんが一枚の紙を出した。

「サムライさん、この前の打ち合わせでお風呂の乾燥暖房器とか、蔵用のハンドトラックとかもろもろ設備でいらないものをあげられました。
でも・・・我々としては折角建てるのであれば是非それらの機能はつけて頂きたくて・・・この図面や見積もりにはそれらが含まれております。

そこで、今日我々は最後の掛け合いを支店長としてきまして・・・
若干ではありますが、その設備分20数万円を追加お値引きさせていただこうとお思います。 でも、もしこの設備が『やっぱりいらないよ〜ん』となっても、この分の値引きがなくなることはありませんのでご安心下さい。」

もう時間は夜の10時を過ぎていた。“子サムライは寝たよ・・・”と、妻から僕の携帯電話にメールが入っていた。
ミサワホームの事務所を出るとき、三銃士が勢ぞろいで見送ってくれた。
「吉報を、ドキドキしながらお待ちしております!」

20数万円と、以前言われた●●●円の値引きが合算された、値引きに関する覚書をひらひらさせながら、僕は駅までの道のりを歩いた(この値引きは契約時には反映させず、着工にいたる様々な詳細の設計打ち合わせが完了した後の変更契約の際にドーンと反映させることになるのだそうだ)

駅につく前に、妻に電話をした。
この駅から自宅までは30分もかからないであろう。

ワンコールで出た妻に、僕は言った。
「時はきたなり!これから家族会議でござる!!今日は徹夜で悩むでござる!!!」

電話を切った時、『あ、明日はアップルストア銀座の開店日だ』・・・と、なぜか不意に思い出した。

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息子が寝ると、我が家はとたんに静かになる。

寝室を目いっぱい占領している、我が家の中でも最も高価な家具の一つであるキングサイズのベッドの上で息子は軽い寝息をたてていた。
ベビーベッドを卒業した頃から、何故か息子はベッドでみんなで一緒に寝ることを要求し始めた。

そしてアメリカから帰ってきた頃から、
「パパは布団でネルでチョ!!」
と、僕をベッド下の布団に追いやり、ベッドは息子と妻で…僕はその下に寂しく布団を敷いて寝るのが、我が家のライフスタイルの一つになっていった。

なぜだ?
暑苦しいのか?
息子が大きくなったから?(ダラスに行ったばかりの頃と比べると本当に大きくなったよ。・・・クリック!)

それとも僕がアメリカで丸々太ってきたからか???


と、まあそんなことはどうでもいいのだが、
僕らは息子の頬っぺたにキスをして、廊下を通って、リビングダイニングのソファーに座った。

息子が寝ると、我が家はとたんに静かになる。

バサッ!!!

妻が用意した申し込み金(クリック!)を机の上にポン!と置いた。
伝票上では何百万円・何千万円・何億円という数字を仕事上見る僕ではあるが、なかなか現金は見る機会がない。
「お〜!!!」
僕は声をあげた。

ボクラはムショーにドキドキしていた。
「さあ、どうする?」
僕が言った。
「ナニから…ナニを…どうする?」
妻が答えた。

とにかくボクラが考えなければならないことは3点であった。

★まずは、この予算と見積の相関でボクラはミサワホームで『蔵のある家』(クリック!)を建てれるのか?
★そして今のこのデザインや設備はどうなのか?
★最後に…あの土地で・あの分譲地で決めていいのか!後悔しないのか!

結局人間は、完全に差し迫った判断をしなければならないとき、その判断材料となるメインディッシュはあとに後に〜とまわしてしまうものである。
ご多分に漏れず(この字がわからなかったので、GOOGLEで検索してみました。約22000件ヒット!きっとアッテルのでしょう)、ボクラもまずは予算から考えた。

ミサワホームの営業さんが全員持たされている…という資金計画用ソフトで作られた表を、二人で穴の開くほど眺めていた。
(この表を作ってもらうに当たって、暫定的に、固定金利の住宅金融公庫と変動金利の財形貯蓄住宅融資をおおよそ半々くらいで申し込みたい。自己資金はだいたいこれくらいね〜とリクエストを事前に出していた)

この資金計画表には土地代や現設計での家の本体価格はもちろん、附帯工事費や外構(エクステリア)の費用、インテリアや照明の費用、登記費用やつなぎ融資諸費用(住宅の融資は家が完成するまでは実行されないのです。ところが家を建てるときは先に払わなければならないのです。…この間をどうするか?それを解決するのが住宅ローンよりも金利が高い短期の融資/つなぎ融資なのです)、公的融資諸費用(火災保険や公庫年金預金とかですね)、融資保証料、水道分担金や都市ガス工事費、地鎮祭費用、CATV工事料や引越し代までが入っていた。
(僕らの物件は約300区画の分譲地であり、そのうちの150区画がセキスイハウス、残りがミサワハウスの建築条件付物件…というワリと稀有な住宅街である。既に二年前から住人がいるため、細かい部分の予算も雛型がある分かなり正確に試算が出せるんだろうね〜)

父親からの資金援助やその他諸々の貯金を勘案し、頭金には現在持っている株式や投資信託・債権・年金保険などの資産は含めず行くことにした。

前述したが財形住宅融資は変動金利である。5年間は同じ利息で行くが、5年毎に見直しがなされる。
財形住宅融資(これは財形貯蓄を会社で積み立てていた人にだけ、融資を受ける権利があります)はある程度の金利を会社が負担してくれる…とは言え、現在の低金利がずーっと続くとは考えにくい
そこで、大よそ金利と共に変化してくれるそれら投資資産はリスクヘッジとして確保しておこう…という考えだった。

じゃあ35年間固定金利の住宅金融公庫が安全?…と、言えばそうなのだろうが、現在のこの低金利状態では当然のように住宅金融公庫の金利の方が財形住宅融資より大幅に高い。
故に住宅金融公庫の融資比率を高くする…と、いうことは同じ融資額でも初期の月々の返済が高くなってしまうのである。

ボクラは購入価格に関して一応のガイドラインを作った。
●ボーナス払いはしないこと。
●現在住んでいるマンションの家賃と駐車場・管理費足したものより住宅ローンの月々返済が2万円程度安くなること(その2万円を積み立てて家の補修などに当てるためです)
●団体生命信用保険(これは家を買ったときには必ず入らなければいけない保険です。なんか家の代わりに命を差し出したようで少しイヤ〜な気分になりますが)を足して一年の返済総額が年収の18%以内であること。
●公庫の割合をゼン融資額の40%以上にすること(別にこの割合に確固たる裏づけはないんですがね〜。まあドタ勘!っていうやつですね)

そこで僕らは上記条件を基に、住宅金融公庫のホームページの資金計画診断システム(クリック!)を駆使し、購入額の検討を行った。

・・・
パソコンが置いてある、僕の書斎からボクラはリビングルームに戻った。

『250万くらいオーバーなんですけど・・・』

口を尖がらせて呟いた僕に妻がサラリと言った。
「でもW辺さんは、家の間取りの大きさを少し減らすとか設備のグレードを落としていくとかで300万くらいは減ってくって言ってたよ。まだ広すぎる部屋もあるし。いい設備も入っているし」
僕も続けていった。
「しかも…さあ、これって照明カーテン費用がダウンライトを除いて100万くらい計上されてるじゃない。あとエクステリアも庭のテラコッタのテラスとかも広くついてるよね。この辺りを少し我慢していくとか・・・。あと遮音フローリングとか全部のシャッターが自動シャッターとかになってるしね。蔵があるからフローリングは普通のでも、二階の音はそんなしないだろうしね」

そして妻がニヤリとしながら言った。
「そうね。でもこれキャンティバルコニー(クリック!)みたいな外付けベランダがついてるけど…実はもっと広く出来るルーフバルコニーが良かったりして

それは高くなる話だっつーの!

・・・
と、いうことで予算面は
『とりあえずの契約後にもう一回間取りもつめていけば…まあなんとか行くだろう♪』
と、いうことでクリアしたのであった。

次に今現在の設計図面についての見当に入った。

ちなみに契約用の図面がこれである。
1階プラン(クリック!)
蔵のある中二階プラン(クリック!)
2階プラン(クリック!)
そして外観やバルコニー(クリック!)

『でも結局…予算の面もあるし、これ契約したら再度見直しだよね〜。』 と、いうことでこの件に関しては、検討もせずにクリアとなった。

・・・
『さて…と…』

ついに最後の件である。
ボクラはテーブルを挟んで、向きあって座りなおした。
・・・
そして沈黙…である。

既に時計は夜中の二時を過ぎていた。
「うひーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
沈黙に耐え切れなくなった僕は走り出し、ソファに頭からジャンプ(クリック!)した。
「こうしちゃいられない!」
妻はまた僕の書斎に入っていった。

15分後…全然部屋から出てこない妻を僕は見に行った。
「なにを・・・?されておるのでしょうか?」
妻はパソコンで不動産物件を見ていた。そしてイスを回転させ、僕の方に向いた。

「やっぱり・・・あそこよりいい土地・・・ないね!」

ボクラはリビングに戻った。そしてソファに腰をかけた。

「あの土地・・・気に入ってるんでしょ?」
妻が僕に聞き、そして僕が頷く前にさらに言った。
「もうサムライが決めちゃいなよ。。。私はあそこ、気に入ってるし・・・。実際、生まれてからずーっとここに住んでいたから、新しい土地に行くのは少し楽しみもあるし。気になるのはお母さんのことだけ。でも、お母さんは『自転車で行けるとこ以外はどこでも一緒』って言ってたから。。。」

また長い沈黙があった。
「ホントにいいの?」
僕は聞いた。
「その代わり、親元から離れるってことは、大変なこともあるんだからね。協力してよね」
妻が僕の目を見ないで言った。

人生には何回か思い切る瞬間があり、それは人それぞれだとは思う。
ある人は会社に入るときがそうだろうし、またある人は車を買うときなのかもしれない。
結婚を決める時…なんて答えも意外に多いのではないだろうか。

ミニクーパーが欲しいなあ…と子供の頃から思っていて、なんだかキャベツを買うように車を買ってしまった僕は少なくとも車を買うときは思い切る必要がなかった。
二人で富士山に夜中かけて登り、その登頂の感動に押されるように結婚を決めた僕らは、決断はしたが決して思い切ったわけではなかった。

わりと順風万帆に…と、いうか平平凡凡と生きてきた僕にとっては、わりと思い切った発言だったかも知れない。
「レッツゴー!○○町!だな!!!
じゃあ、明日朝に僕は横浜の実家に電話をする。君は実家に行って結論を伝えてくれ!そして、お互いの両親のアグリーを以って、W辺さんに電話しよう!」


・・・

翌日、W辺さんは電話の向こうで興奮しているような口調で言った。
「それでは、夕方の5時に、サイサンミサワホームの本社でお待ちしております!!」



僕は妻に向かって、こう言った。
「契約の状況をビデオに撮りたいんだ。・・・ちょっと僕に一つ考えがあるんだ…それはね…」

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サイサンミサワホームの本社(クリック!)についたのは、約束時間を過ぎた、11/30日、夕方の5時5分頃だった。
いや、特に武蔵を気取ったわけでもなく、だからといってハンディカムの充電に手間取ったわけでもない。
単に道に迷っただけである。

「あれ?なんで会社の表札は“ミサワホーム西関東”って書いてあるんだ?」
と、一瞬???…と思ったものの、後々その秘密がわかる“些細な疑問”は、めったに持ちなれない“実印”なんてモノを持っての“土地建物契約”なんていう儀式の前には、・・・そんな疑問も一瞬で『彼方へ霞むッチューの!!』・・・
と、言う感じで僕らはミサワホームのロビーへと歩みを進めたのであった。

・・・
ミサワホームの土地担当者は爆笑問題の太田にそっくりなオジサンだった。

「これが噂に聞く土地契約の際の重要事項説明(クリック!)かあぁぁあ」
と、契約書に実印を押す前に、僕らは延々と土地の説明を聞いていた。
これは土地に関する情報を一語一句、土地取引に関する免許保有者が買主に言って聞かせなければならないものである。

いくら僕らが「えへへ♪少しこの場所魅力的ね♪」と思った土地だとは言っても、契約文書を読み上げられていると…それは無味乾燥としていて…
『あれ?なんか僕ら、凄く退屈なものを買おうとしてるんじゃないか?』と錯覚してしまいそうになる。

爆笑問題の太田からの説明では、僕らの分譲地は、組合で律せられた景観などに関する規則が非常に厳しく、

区分けされ、A〜Cアベニューといった具合に名前がつけられた通りごとに、道路と家の境界線には●●センチの指定天然石(我が家の区画はテラコッタをはらなくてはならないそうです。他の通りで採用されているレンガが良かったのですが、まあしょうがないですね)を貼らなければならないだとか、
南側の家はお庭に小さな電柱のようなポールを立てて、張られる電線の距離を極力短くしなければならないとか、
全世帯がCATVに加入して、アンテナをつけてはならないとか、
一部条例上では三階建てを建てれる区域も分譲地内にはあるのだそうだが、それでも南側は2階建て・北側は2階+蔵階までしか建ててはいけない…とかとか…

“聞きようによっては細々と煩わしい”、『まあ綺麗になるんだからいいかア』的な規則がたくさんあるらしいことも聞かされた。

様々な“儀式のような”説明が終わり、『いざ!実印押すべし!』…と、いう段階になって、僕は一つだけ質問をした。

「そういった様々な組合による規制・・・そんな奇抜な生活をしようとも思ってはいませんから…確かに住むほうにとってはウェルカムなモノである事は確かなんですが…この規制には期限などは無いのでしょうか?」

予想外の質問だったのだろうか?
爆笑問題の太田は目をパチクリさせ、そしてこう言った。
「あら〜それはちょっと今わかりませんね〜。数日内に一度区画整理組合の方にいく用事がありますんでその時聞いておきますよ〜。」
(結局、後日の答えでは現在期限は決められておらず、原則半永久的なものであるとのことだった)

そんなこんなで、特に変わったことも無く、僕らは(実は僕らは土地建物を夫婦の共有名義にしてるのです)10数個×二人分のハンコを押し終え、時間ばかりかかった土地契約は、それでもあっさりと…滞りなく終了したのであった。

すでにこの時点で数千万のお買い上げ〜♪である。

と、いま改めて思い返しているからこそ、そんな事もかけるのだが、この契約時にはそんな実感なんぞはまるで無かった
とにかく指定された場所にはんこを押し、サインをするので精一杯だった。

まるで食用の松坂牛が、大切に大切にケアさえながら、ベルトコンベアなどで運ばれてくる最上級の餌を一生懸命処理している風情でもあった。
途中からは既に自分の意志すらどこかに忘れ、すっかりハンコ押しマシーンと化していたような気がする。

まあ、いくらなんでも松坂牛のように、最後には切り刻まれ、食べられてしまうことはないとは思うが♪

それにしても、今にして思えばもう少し感慨深く、一つ一つのハンコを押していってもよかったような気もちょびっとはする。

僕の大学時代〜入社二年目位までは、日本は俗にいう“バブル”だった。
今はすっかり何分の一の価値しかないのだろうが、そのころは横浜の僕の実家ですら●千万円!!とか評価されていた。

『一山当てたるぜ〜!!』
なんて感じの男らしい冒険もせずに、“売り手市場”“理系の文系就職”なんていう実態の無い“過熱” に押されるように、募集倍率何十倍何百倍!なんていう狭き門に小さなプライド=自己満足を擽られ、マスコミの世界…という実は単なるサラリーマンになった僕は、
「たぶん僕らの時代じゃ家を買うなんてことは無いんだろうなあ…」
なんてことを極めて普通に考え、そして日々浮かれて刹那的に遊んでいた
(ちなみにクラブやキャバクラ、カラオケなんかがビジネスとして大発展していったのもそのころからだと思う)

そんな僕が今、家族を持ち、そして家を建てようとしている。

不変の情報とは訳が違って、人間は必ず変わるものであり、“自分探し”なんてものは全くもって“バカゲタハナシ”だよ〜ん…なんて感じのことを言ったのは解剖学者の養老孟司先生だったと思うが、
あのころの“本当の僕”が今の“本当の僕”を見たら泣いて“ビックリするか馬鹿にするか”のどちらかだろう。

だからこそ、もっともっと一つ一つのハンコを、じっくり押せばよかった…なんてことも思うわけである。
まあいまから何を言ってももう遅いのだが♪

さて、ちなみにW辺さんは…と、いうとこの僕らの土地契約の状況を、僕らに頼まれてビデオに押えていた。
「我が家の記念の一部なんで・・・」
なんていうわけである。

「では…お次は私の番なんでよろしいでしょうか?」
と、W辺さんがビデオのスイッチを切り、妻に手渡した。

お次は建物の請負契約の番である。まだ最終の図面ではないのに・・・と、少々変な感じもするが、これは『とにかく建物も、ミサワさんでよろしくお願いしますよぉ〜』と、いう意思の契約だと思えば差し支えないだろう。
実際は、この後細部に渡って・・・コンセントの数や位置まで細かく設計士さんと詰め、最終的な金額で“追加変更契約.”というものをするらしい。

ビデオを手にした妻が僕の目を見た。
僕は『コクリ』と頷いた。
妻の手が静かに、そして微かに動き、ビデオのスイッチを入れた。

契約書の説明自体は非常に淡々と進んだ。
そりゃそうである。この二週間、何度も何度も、穴のあくまで見た平立面図と見積もりである。もう既に見なくても何がどうなっているかはわかりすぎなくらいである。

「お話しましたお値引きに関しましては、この契約では反映させずに、追加変更契約の時に反映させていただきます。これはその件の覚書です」

と、W辺さんが、幹久とW辺さんのハンコの押された一枚の書類を手渡した。
どうも会社からの見え方上、請負契約の時の金額は多めにしておいたほうが、彼にとっていいらしい。

「そんで最後に『あちゃー下がりすぎちゃった〜』ってバックれることは無いですよね〜?」
僕はニヤリとその紙を受け取った。
W辺さんはニコニコしながら無言で首を横に振った。

そしてついに、建物の請負契約書にハンコを押す時がやってきた。

ビデオを手にした妻が僕の目を見た。
僕は強く『コクリ』と頷いた。

ハンコに朱肉をつけながら、僕はW辺さんに向って、まるで雑談のような感じで言った。
「前にも一度お伺いしましたが、ミサワの20年保証では天災は免責となっていましたが、あの土地で地盤沈下などで構造体に影響が生じた時は、保証の範囲ということでいいんですよね〜」

ここがポイントだったのである。

僕らはこの地盤についてだけ、少しの不安を取り除けないでいたのである。
で、あればこの契約時に…これがいったいなんのリスクヘッジになるかはわからないが…まあ気休めとしてでも…なんらかの地盤と保証に関する言質をビデオに収めておこうと思ったのである。

いや〜それにしてもW辺さんは素直で、そしてとても素晴らしい人であった。
僕らが期待していた事以上を、ビデオがまわっているのを知ってか知らずか、話してくれた。

「ええ。大丈夫です。確かに天災は免責…とありますが、たとえば地割れ…なんかの場合はどうだか知りませんけど、たとえば神戸の地震の時でも…ミサワの家は倒れなかったんですが、たとえば隣家が倒れた事による災害なんかも僕の知ってる限りでは保証してましたから。当然地盤沈下・・・などが起こったら、それは構造体に影響を与えるわけですから。それはご安心ください」

今一度ビデオを見返したわけではないので、うろ覚えであるが、かいつまんで言うとそんな感じの答えであった。

・・・
全ての契約を終えた僕らは、手首に軽い疲労感を覚えながら、契約書類一式(クリック!)と引き換えに、W辺さんと爆笑問題の太田に申し込み金の203万円を手渡した。

一瞬、背中が軽くなった気がした。

全ての儀式を終え、駐車場まで見送りに来てくれたW辺さんが言った。
「今後のスケジュールなんですが、できれば早めに打ち合わせをして、年内いっぱいには間取りだけでも決めちゃいたいなあ〜と思っています。

その後年明けから今度は請負契約後の着工前打ち合わせ・・・という内部造作の詳細打ち合わせにはいれれば・・・と思っています。
この打ち合わせは丸一日、また別の設計の人間とやっていただくもので、大体皆さん6時間くらいを3回くらいやることになると思います。

それで完全に設計と見積もりが出揃ったところで、追加変更契約をして着工…と、いう運びになると思います。
土地の決済(支払い)は4月まで待ってもらう事にしましたんで、まあこのスケジュールなら6月上旬にはお引越しができるんじゃないかと思っています♪」

僕は頷きながら言った。
「まあそんなに焦ってないですけどね。
土地のローンと今のマンションの家賃の二重払いは若干痛いですが、でもそのために凄く急ぎたい…という気持ちはあんまり無いです。
とにかく間取りとその見積もりの打ち合わせを来週、U村設計課長を交えてしましょう。
…がらっと変えちゃうかもしれませんけどね(ニヤリ)

そして僕は妻に言った。
「ほら、もう契約した客には会ってくれないかもしれないから、W辺さんに最後の挨拶しておきなよ〜」

「そんな悪い人間じゃないですって〜〜」
W辺さんが首を横にブンブン振りながら言った。

すっかり冬だった。夜も8時近くになった外は吐く息を白くさせ、そして火照ったボクラの体を一気に冷ましえくれた。
そして、契約作業中、なぜかずーっと寝ててくれた息子も目を覚ました。

ボクラは少し小刻みに震えながら車を走り出させた。
W辺さんが、ボクラが見えなくなるまでお辞儀をしていた。
まさかこの時には、これからの打ち合わせをボクラが引っ張りつづけ、結局着工が4月の中旬、引越しが早くても7月末になることなど誰も知らなかった。

そして、やっぱり、会社の表札は、サイサンミサワホームではなく、ミサワホーム西関東であった。

(これには後日談がある。実はこのボクラの契約日、11/30をもってサイサンミサワホームはミサワホームホールディングス株式会社の100%子会社となり、ミサワホーム群馬株式会社との合併により 12/1からミサワホーム西関東株式会社に社名変更したのであった。

11/30の契約を、ボクラに値引きというニンジンをぶら下げて急がせたのも、実はそこにも理由があったのだろう。

実はボクラがそのことを知ったのは、契約後最初の間取り変更打ち合わせで、志木の展示場に行ったとき、『社名変更記念!1000万円が当たるキャンペーン!』というポスターが壁に貼られているのを見たときであった。
しかもこのキャンペーンは12月1日からの契約者が対象だった。

「あ、ちょっとやられたな〜」
と思った僕はW辺さんに
『知らなかったよ〜。こんなキャンペーンがあるなんて〜。しかも12/1以降先着50名様にはウッドデッキとかプレゼントだなんて〜。ずるいよ〜ずるいよ〜』
と、申し出てみた。

「いや〜でもサムライさんの値引き額の方が全然お得なんですよ〜。ぽりぽり」
なんていうW辺さんに、強引に『せめて1000万円の方だけでも〜。だってボクラ、サイサンミサワホームの最後の契約者でしょ〜』と、強引にエントリーにねじ込んでもらったのだ。


まあ…当然だが…結果は「はっずれ〜」であった。

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具体的に言うと、ボクラが行ったのは、土地の契約と建物の請負契約である。
この請負契約というものは、ようするに『とりあえず建物はミサワホームでお願いしますわ〜♪でもどんな建物をイクラで建てるかはまだわからないけどね〜ニヤ♪と、いうものである。

契約した翌日はもう12月、先生も走るし、下手すりゃガンダムのリック・ドム(懐かしの黒い三連星のジェットストリームアタック!!・・・のパロディ・・・クリック!)だってスイスイ走るかもしれない・・・その名も師走である。

「今後のスケジュールなんですが、できれば早めに打ち合わせをして、年内いっぱいには間取りだけでも決めちゃいたいなあ〜と思っています。」

と、いう契約日のW辺さんの言葉に、妻はとても反応していたようだった。
「なんでそんな焦らすのかなぁ?もっともっとじっくり考えても・・・いいんだよねえ?だって、雑誌なんかでは建築家の人は、一日建設予定地に座って、『今日は風を見てきました』・・・とかやるんでしょ〜」

ぼくの心配はお金だった。
契約した土地建物その他(外構やインテリア・ローン諸費用等々)の最終的に住むまでの総額は250-300万円ほど予定価格をオーバーしていたからだった。

でも、これ以上頭金を増やすことはしたくなかった。手を着けるのは、住宅用財形貯蓄と公社債投資信託だけにしたかったのである。
持っている株式やインデックス型投資信託 (総融資予定額の30%くらいしかないんですが・・・) などは、変動金利に対するリスクヘッジとしてとっておきたかったのである。

しかも・・・もうひとつ問題があった。

現在の返済計画は財形住宅金融資からを約55%、住宅金融公庫からを約45%で考えていた。
この両者は前者が5年毎見直しの変動金利、後者が35年固定金利である。
しかも現在のプライムレートや経済的情勢から見て、実際にボクラが融資の申し込みをする2月の時点ではこの時より0コンマ数%下がるのではないかと予想をしていた
(銀行の融資が融資実行時の利率が適用されるのに対し、公的融資は申し込み時の利率が適用されるのです)

それは嬉しい予測なのだが・・・実は僕はもう一つのリスクヘッジをしようかなぁ・・・と考え、心の中ではそれをほぼ決めていたのである。

と、いうのはこの不確実なご時世である。いつ退職金制度がなくなっても・・・そして会社が潰れてもおかしくないかもしれない。
そこで、現在の僕の退職金に相当する額ぐらいは、会社から金を借りておこう・・・と、思ったのである
(まあ言ってみれば万が一会社が潰れた時でも退職金を取りっぱぐれないように、労働債権の前借をしようかな?っていう意識ですね)

僕の考えでは、総融資額の財形融資を53%位に、公庫を37%位にして、10%くらいを会社融資に充てよう・・・と考えていた。
ところが・・・である。
僕の会社の融資の利率はなんと最高15年固定の3%なのである(まずは15年で元金を返済し、残った利息部分をその後同じ返済額で返していく・・・という、多少不思議な形のものですが・・・)

単純な話・・・35年ローンを組もうとしていた融資(しかしこの35年ローンっていうのも途方もないですよね〜。予定通り返すとしたら、全額返却時には、息子が今の僕より年上ですわ♪)の10%に関しては15年で返す計画を当初からするわけである。
これは月々の返済額におのずと影響が出るわけであるよ・・・。よってさらに僕は、土地建物全体の総額を数十万減らさねば・・・と考えていたのである。

「とにかくさあ、あと350マンくらい減らせたらいいなあ・・・と思っているんだよね。
家買った後も、毎週ちゃんといいレストランで外食はしたいし、おこずかいもたくさん欲しいし・・・国内海外問わず家族旅行だって年に最低でも2回は行きたいしね〜。
今年中に間取り・・・っていうのはさあ、土地のローンは4月から始まっちゃうわけだし・・・できれば早く5月末くらいに引っ越せた方が、土地のローンと家賃の二重払い生活の辛さつなぎ融資(クリック!)の金利負担が少なくなる・・・っていうW辺さんの 親切心なんじゃない?
でもいずれにしても、納得のいく設計と、それに付随する金額が合わないことには、着工はできないから安心しなよ〜」
僕は妻に金銭面に対するプレッシャーを少しだけかけるように言った。

『妻の希望であるステンドグラスのある窓・・・は生かすにしても・・・サイアク・・・今、南の庭に作ろうとしている、テラッコタタイルの大きなテラスは諦めてもいいかな・・・』と思っていたことは、この時は言わなかった。
妻は、住宅雑誌のキッチンのページを、何も言わずに“穴があくんじゃないか・・・と思うぐらいに”じっくりと見ていた。


3日後の夜、契約後初めての打ち合わせがあった。

ミサワ三銃士は、“幹久”が抜けて二人となっていた。
「やっぱりもう契約しちゃったから、“幹久”は来ないんだね」
僕はこっそりと妻に言った。
「さみしい?」
妻がいたづらっぽく僕に聞いた。
「少しね・・・。でも、これ以上会ってたら、僕が恋に落ちちゃう(クリック!)かもしれないから・・・丁度いい引かれ際かもね♪」

この打ち合わせの前に、僕は電話でW辺さんに、「こっからリバイスプランに行くに当たって、お金をグッ!!と落とすには何が一番いいのかな〜?」と聞いていた。

「やっぱり一番は建坪でしょうね〜。当初とんでもなく高級な設備を入れていたのでなければ、設備で落とすにも限界があるでしょうから・・・」
そこでボクラは、この打ち合わせでこんなオーダーを出した。すべては金額を少し小さくするため・・・という少々悲しいオーダーではあるが♪

●現在の設計のコンセプトは非常に気に入っているので踏襲したい♪でもその上で・・・
●全体的に建坪をあと5-8%くらい小さくしたい。
●キッチンやダイニングは東側にして朝の光を取り入れていきたい。だからリビングは西側でいいで〜す。ダイニングの南面を少しリビングより凹ませて、リビングにも朝の太陽の光が東側から入るようにしてね♪
●自動シャッターはリビングの大きな窓用だけでいいっす♪あとは手動でもちゃーんと閉めますよ〜。
●和室や子供部屋は意外に小さくていいです♪
●お風呂や洗面所は一坪ずつでいいです♪でも洗面所は収納をうまい具合にたくさんつけてね〜♪
●蔵は二つに分けて。一つは収納で使って、もう一つは僕の趣味の部屋にするから。
●おっと・・・床暖房だけは残しておきましょうね〜。もし最後ににっちもさっちも行かなくなった時は、値下げの切り札にするかもしれないけど♪吹き抜けリビングが寒くなっちゃいけないしね〜

その他もろもろではあるが、大きなところではこんなところである。
僕は妻の方を見た。
妻はこんなオーダーをした。

●キッチンは対面式ではなくていいです。I型のキッチン(クリック!)で。でもその代わりキッチンとダイニングの間にはカウンターを造って欲しい♪
●下駄箱も大きい二段式ではなく、高さ1mくらいの白い造りつけの下駄箱でいいでーす。
●・・・その代わり・・・ベランダはキャンティバルコニーじゃなくて・・・リビングの上に乗っかる形で奥行きが1.8mくらいあるルーフバルコニー(クリック!)にしたいな〜♪

最後の妻のオーダーに思わず僕は「え?」と声をあげた。
当然・・・家に取り付ける形のベランダと違い、ルーフバルコニーは屋根の無い部屋を一つ造るようなものである。これは高くなる・・・。
その僕の動揺を察したように妻が付け足した。
「あ、でもバルコニーは主寝室(収納をいれて10畳程度)の前だけでもいいかもしれません♪まああとで予算的に合うようだったら南面全面につけますけど・・・ニヤリ♪

蔵構造の家とは・・・意外に間取り図を書くのが難しい。
1階、中二階、そして2階・・・とすべてが連結した造りになっているからである。
しかもミサワホームの家は木質パネル接着工法(クリック)という柱が無く、耐力壁と言われる壁で支える構造のため、簡単に間取りの変更が出来ないのである。

「まじかよ〜契約図面ほとんどやり直しかよ〜。生きてるのはコンセプトだけかよ〜」
そんなU村設計課長の心の声が聞こえてくるかのようだった。

最後に・・・僕はわざと抜けるような明るさで言った。
「これらのボクラの希望をなるべく満たしてくれて、尚且つ予算的にも合致する家をお願いします。予算・・・ていうのも非常に大きな課題ですので、プランをリバイスする度に建物の見積りも逐一見せてください。間取り・・・とはいってもお金ありきだと思うんで、チクチクこまか〜く検討ないしはオーダー、そして妥協をしていきたいんですよ。と、いうことでおねがいしまーす♪」

ミサワ二人衆が帰途についた後、僕は妻に言った。 『なんだか金ないやつらに契約させちゃったな〜』って思ってないかな〜?彼ら。」
食事の用意をしながら妻が言った。
「思ってるんじゃない?でも無理に高い家建てる必要もないじゃない?」

その後打ち合わせは数回あった。
その度に間取りが若干変わり、設備が変わり・・・そして見積りが変わっていった。
3度目位から、ミサワ二人衆からはU村さんが抜け、W辺さん一人となっていた。

「これはいい間取りだと思いますよ〜。自画自賛しちゃいますよ〜。サムライさんの希望どおりですし、ルーフバルコニーもこの通り!しかも南側のお庭も畳で40枚以上ありますよ〜」

もう決めてよ〜おねがい〜・・・W辺さんの心の声が聞こえてきそうになっていたのは、もうすぐクリスマス・・・5回目くらいのリバイスプランの打ち合わせ時であった。
「しかも・・・建物だけで契約時の見積りよりも190万くらい下がりましたよ〜。あとは外構や設備、インテリアの検討でいける範囲だと思いますよ〜♪」

そのプランがこれであった(1階と蔵階だけです。二階は撮り忘れました・・・クリック!)

「いいんじゃないかな〜これ。とりあえず間取りと建坪は。設備関係はまだ良くわかんないけど。明後日のクリスマスパーティの時、OK!って言っていいんじゃない?」
W辺さんが帰った後、僕は見積りと平面図をしげしげと眺めながら言った。
クリスマス会・・・と、言うのは・・・ボクラが契約をしたミサワホームの志木住宅展示場で、既に契約しているお客さんや、もう住んでいるお客さんなど10家族程度を呼んでのパーティが企画されているのであった。
まあ、単なる飲み会・・・と、言う事らしいが、いろいろ話も聞けそうだし(しかもタダだし・・・プレゼント交換なんてのもあるし・・・)と、いうわけでボクラも息子を連れて参加する事になっていたのである。
どうかな?・・・と、いう目で僕は妻を見た。

実は妻には一つだけ、既に契約後の打ち合わせの前半から、少々不安な点があったのだ。
「4畳半の正方形のI型キッチン・・・って・・・広すぎるんじゃないかなあ・・・」

妻は以前なにかの本で、“正方形4畳半のキッチンは妻殺し!過労死しますよ!”なんていう世にも恐ろしい記事を読んだらしいのであった。
「これって・・・キッチンを三畳半とかにして一畳分を二階の洗面所とか一階のリビングとかを広くしたらどうかなあ?」
妻は図面を眺めてボソッと言った。

「でもさあ、平屋じゃないんだから・・・それはできないだろう・・・。もしそうするなら再度ぜーんぶ間取り考え直さなきゃいけないよね〜」

妻も僕も、今の間取りは90%気に入っていた。
本当にそこだけ・・・キッチンの広さだけが、唯一一点の不安だったのである。

「お義父さんに・・・アドバイス聞きに行ってみない?」
前にも書いたが、妻の実父である・・・僕にとってのお義父さんはレストランをやっていた。妻の実家は一階がお店で二階が住居である。

そこでボクラは・・・半分図面の質問、半分夕食をご馳走になりに、妻の実家に向かったのであった。

なぜか息子はこのお店にくると異様に良く食べる。
BSEも何のその。
ボクラは牛肉をばくんばくんと食べていた。

白衣を着た、お義父さんが、僕らの不安に対する説明を聞きながら・・・今現在の図面を見て言った。
「うちの台所で実際にひもでも張って、体感してみればいいじゃない」

ボクラはまず、お店のキッチンに入った・・・だめだ。ここは広すぎる・・・。ここじゃどんなキッチンも狭く感じる・・・
と、いうことで二階の台所へとコマを進めた。

妻の実家の台所は広く・・・8畳はゆうにあった。しかも隣接したリビングダイニングが20数畳もあるのである。
そこで体感しろ・・・って言われても・・・

「結構狭いんじゃない?大丈夫なんじゃない?」
僕はすばやく言った。僕には少し、“もう決めちゃおうよ〜。早く前に進みたいしさ〜”という気持ちが芽生えていたのかもしれない。
キッチン・・・という世の奥様にとって最も重要な部屋の一つの悩みなのに・・・今から考えれば明らかにヒドイ話である(笑)
「もし使ってみて広いようなら、壁とかを葺かして少し狭くしたりしてもいいじゃん〜」

妻はまだはっきりとした結論は出ないようだった。
「大丈夫だよ。最初っから狭いよりは広いほうがお父さんはいいと思うな〜。」
お義父さん!グッドジョブ!!
「そうかもね〜・・・まあ・・・いいかあ・・・」
妻の納得度は、ほーんのすこしだけ・・・上がったようだった。

ちなみに、なんとこの日のお義父さんとの話し合いで、とても嬉しいニュースがあった
(このニュースが妻の不安を少し打ち消した・・・といっても過言ではないだろう。あまりにもゲンキンなボクラである)

図面を眺めていたお義父さんが突然こういい出したのであった。
「よし。引越し祝いでこのキッチンカウンターはお父さんがプレゼントするよ。小林さん(昔からのお父さんが親しくしている方で、家具の工場と、人工大理石の工場を持っている方です)に作ってもらうよ。それで早めに納品してミサワに取付させればいいよ」
(後日談であるが・・・このキッチンカウンターの件でお義父さんと妻が小林さんを訪ねた際、小林さんの方から『ぜひ、キッチンカウンターは私がプレゼントしたい♪』という話になったのであった。
と、いうことでお義父さん、『じゃあ、おれは下駄箱をプレゼントする!』ということになり、ボクラにとっては非常に予想外の嬉しいニュースになってしまったのであった)

ミサワホーム住宅展示場でのクリスマスパーティの日、ボクラはパーティ開始の1時間前ほどに会場入りし、W辺さんと間取り図面の打ち合わせをしていた。

チョコチョコとした変更要望を伝えながら、僕は言った。これを反映をした図面と見積はお正月明けすぐに提出してもらうことになっていた。
「ほぼほぼ・・・まあ家の形についてはこんな感じで進められるかな〜って思ってるんですが・・・これからどんな進行になるんでしょう?」

W辺さんが説明してくれた。
「年が明けたら、今度はまた別の設計担当がサムライさんの担当としてついて・・・今度は着工前の設計打ち合わせという段階になります。場所はまた変わって当社の所沢支店で行います。これは一般的にで3回程度行われるもので、朝〜夕方までかかります。
ですからもしかしたら息子さんはおばあちゃんとかにあづかって貰った方がいいかもしれないですね〜。」

朝〜夕方まで?お昼ご飯挟んで6-7時間?それを3回も?
僕らはビックリして聞いた。
「え?何やるんですか?また間取りとかを変えていってもいいんですか?」

W辺さんが慌てて言った。
「イエイエ・・・まあ、どうしてもまだ気に入らない・・・と、いうのなら間取りも変えていただいていいんですけど・・・。でももうかなりいい間取りになっていますんで、出来ればこのまま行って頂いたほうがいいと思いますよ〜。
これからの打ち合わせはもっともっと細部にわたるものです。
窓の位置やクロスの柄、壁の柄やコンセントの位置、電気のスイッチやインテリアなどを詰めていく段階だと思ってください」

そこで、僕らは改めて気が付いた。

そういえば、家の形と見積ばかりに気をとられていたが、家を建てる・・・というのは最後のコンセントの数や位置まで決めることなんだ・・・。
逆に言うと、今の図面でも・・・どんなキッチンなのか、どんな風呂なのか、どんな洗面台なのか・・・とか細かいことはな〜んにも知らないぞ。
あれ?そういえば照明・カーテンとかのインテリアとかはどうするんだ?
なんか凄く大変だぞ〜。出来るのか?家・・・?

クリスマスパーティはとても楽しいものだった。

サンタクロースの乱入には息子も大喜びだった。
酔っ払ったU村さんがこう言っていた。
「最近は・・・住宅関連情報の充実の中で・・・若い建築家のつくる個性的な家なんかがクローズアップされちゃって・・・施主さんが前ならプロしか知らないような素材なんかを堂々と要求してくるので・・・話が早い場合もありますが、逆に非常にやりにくい場合もありますね〜」
酔っ払った僕もフムフム頷いて聞いていた。
「でも家を建てるのって、金額が大きいからなのか、人を急に“うるさ型”にしますよね〜。
僕は広告代理店でイベントの部署にいますから、展示会のブースなんかもディレクションすること多いんですが、最もうるさいクライアントの担当者は、大抵が家を建てたことのある人間ですね〜」
なぜか、この発言はU村さんに大受けだった。

とにかく・・・ボクラの家づくりはまた一歩前に進み、そして年を明けていった。
7時間の打ち合わせを3回かア・・・と、少々面倒くさくも思いながら、楽しみや期待も膨れ上がっていった。
「2月下旬くらいには着工なのかな〜?」

前にも書いたが、ボクラの所沢での着工前設計打ち合わせが三回なんてものじゃ全然済まず・・・結局着工はゴールデンウィーク直前になろうとは・・・このときはまったく想像も出来ズ・・・、5月末くらいの引越しに、心を躍らせていたのであった♪

※この頃から少し経って、僕がよく読んでいた本の一つが建築家の宮脇檀氏の書いた「それでも建てたい家」(クリック!)と、いう本である。
ボクラの場合、もう少し早く読めばもう少し参考になったのだが・・・それを差し引いても非常に楽しく、しかも“目から鱗の”肩の凝らない本であった。
これから家を建てる人も、もう建ててしまった人も、この本は必見だと思います♪

第七話につづく(クリック!)



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