サムライ一家の 〜そしてボクラは家を建てるのだ〜 /モクジのページへ |
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「申し訳ありません・・・結論・・・出せませんでした・・・。」 良く晴れた日の、東京・環状八号線沿いのミサワホームの研究所、MIFパーク(クリック!)の昼食会場として使われたテラスで、揉み手(クリック!)をするW辺さんを前にボクラはそう口を開いた。 だって、しょうがないじゃ〜ん!きまんなかったんだも〜ん!! ………さすがにボクラも(息子を除いては)それなりにいい大人だったので、そんな上記のように言うことは無かったが、 物件を見て1週間で“スパン!”とこれから長年住むトコを決めるほどの、経験値も度胸も先見性も、そして自信も持ち合わせていなかった・・・というのが実際のところではあった(これでもかなり真剣に悩んだんだけどね♪・・・とはいっても意外にこの1週間、僕の平日の仕事が忙しく、“ずっぽり”と悩んだか・・・?というと・・・ちょびっと???だったりもする)。 さすがにちょっと残念(クリック!)そうなW辺さん・・・である。 何度も書いたことだが、僕はこの十年強、広告代理店・・・という世界で仕事をしていた。 理系の大学を卒業し、六本木に研究所があるにもかかわらずまったく遊びに行かない人たちと共に国立の研究所で研究論文を書き、学会にも名前を連ならせて頂いた…確か化学とか云った専攻も、理科の教職免許も“ポイッ”とどこかに捨て去り、まだそれなりに世の中が浮ついていたバブル経済の末期にその不可思議な業界に就職した。 この仕事…いわゆる“提案サービス代理業”であり、言ってみればハウスメーカーのやっていることと“似たような部分”が大いにある。 「ハウスメーカーの営業って真面目だよなあ・・・」 W辺さんや他の営業さん、“幹久“、設計さんナドナドを見るにつれ少しのシンパシーのようなものを感じつつあったのは事実である。 「一度うちの若い社員にも見習わせたいくらいだよなあ・・・」 なーんて思っちゃったのも一回や二回ではなかった。 広告会社でのイベントを作るセクションは、様々なイベントプロダクションや造形会社、工務会社、建設会社、芸能関係会社…をプロデュースしていく立場にある。 プロデュース…とはいっても、製作の現場のイイカゲンさにはかなり“目を見張る”ものがあるため、実際は“細か〜い”チェック!チェック!チェック!!の嵐が実務の現状である。 それが理由…なんだろうが、ついついハウスメーカーも、それら業者さん(広告業界では『下請け』という言葉を使わずに『協力会社』という風に呼びますが)とダブって見えてしまうのであった。 そして「彼らくらい真面目で優秀なら、僕がきちんとプロデュース出来れば、いいもの(・・・この場合は家であり、家族との生活であり、楽しい将来だったりするのです)が造れそうだなあ・・・」 なんて思っていたことも事実であった。 そんな観点から….だろうな。ぼくらが「まだあの土地の仮申し込みすらしないよ〜ん」と言った後のW辺さんを眺めているのは少々辛かった。 そこで僕は追加でこう言ったのであった。 「だけど…あの土地が完全に嫌だ!って訳じゃないんです。単純に、他の土地のこと、一生懸命今済んでいるところ近辺で探してくれた義父のこと、妻の実家から遠くなること、今更ですけど横浜からも遠くなること…その他たくさんのこれまでのことが整理ついてないのも一つの理由なんです。 ボクラ、ミサワの蔵には「クラクラ」来ちゃってる訳ですから。 だから、またいろいろ土地の情報教えて下さいね♪ それに…決してあの土地はもう検討リストから外す…って訳じゃないですから…なにか動きがありそうなときはすぐに連絡してくださいね♪」 なんか良くわからないが、一つ肩の荷が降りたような気がした。 ミサワホームからの帰り道、ボクラはファミリーレストランでお茶をした(クリック!)。 なにかが一つ終わった気がした。 でも、これは実は“始まりの始まり〜”の単なる1ステップを踏んだだけだったのであったのだよ♪ その後1週間はのんびりと過ごしていた。 「やっぱ家とかって焦って決めちゃ駄目だよね〜」な〜んて、軽口も叩きながら、あれだけ熱心に毎週楽しみに見ていた、住宅情報もほとんど見ていなかった。 それどころか、他のハウスメーカーから来る電話が、「少々うざいな〜」と思っていた。 空いた時間で、最近みていなかった映画のDVDや買ったまま読んでなかった雑誌を見ることも一段落した頃、「日本の住文化に関する一考察 ─「ウサギ小屋」再考」(クリック!)という“かなり偏った”文献をインターネットで見つけた。 「...そうだよなあ...」 いろいろ異論はあったものの、この論文の“日本の街並みはどうしてこんなに貧弱で、汚いのだろう”という部分には、微妙な共感を覚えた。 ぼんやりとミサワホームの例の物件の街並みを考えていた。 『どこまでを…住宅を起点としてどの範囲までを “住環境の街並み” と呼ぶのか』ということはまったく定かではないが、 「あそこなら少しは楽しい家族との生活の絵がかけそうだな〜(+含み笑い=にや〜♪)」 な〜んてことを、非常に漠然と考えていた。 そんなこんなでMIFパーク見学から1週間と少しほどたった頃だった。 会社にいる僕の携帯電話に妻からメールがきた。 「今日…家族会議をするでござる!(クリック!)」 《深夜★隠密家族会議にて》 「彼奴から電話があったでござる・・・」「キャツ…とは?」 「なべぞよ…W辺でござる…」 「フム…そういえばしばらく便りが無かったが…で…なんと?」 「例の物件でござるが…来週の末頃のあの地域の瓦版にて…新規分譲分のオリコミチラシを撒くらしいのじゃ」 「それが…どうしたというのでござるか?あれだけ明媚な分譲地じゃ。新規募集をするのならかなりの民が見に来るであろうな」 「…んもう…鈍いのう。そちの言うとおり、おそらく多くの問い合わせが入るじゃろう。ところで…じゃ。そちもご存知の通り新規募集地は若干駅に近い…故に商業施設予定地に近いところにあるな。我々が検討していた物件とは違うブロックじゃ。」 「そうじゃ。駅から10分以内程度であれば、若干遠くても商業施設からは離れておった方がいいではないでござるか〜」 「そこで…じゃ。そう思うのはおぬしだけか?いや違う。大抵の民はそう思うはずじゃ。さすれば…あの区画が無事であろうはずがないのう…。W辺殿が言うには…とりあえず後悔しないように仮押えをしてみるのもいいのではないか…ということでござるよ…」 ..................... 「明日あの物件の区画、もう一度落ち着いて見に行こう!!会社は午前半休しよう!そして…とりあえずの二週間仮押えをするかどうか決めよう!」 僕らは声をあげた。すっかり住まい探しが再点火!である。もう“なべちゃんの営業戦術に丸引っかかり!”である。忍者ごっこなんかしている場合ではないのである。 今からして思えば…時代劇であれば、壁の向こうの敵の忍者がボクラの声を聞き、W辺代官のところに“屋根をピョンピョンジャンプして”飛んで行き、ひそひそ〜っと報告をし、ナベちゃん「にや〜り♪」(クリック!)ってところであろう。 翌日、天気は快晴だった。 雨の時とはうって違い、分譲地自体の活気が少し上がっていた。 なぜか土地(クリック!)もキラキラ輝いて見えた(ちなみに前日は小雨だったので、単にそれでキラキラしていた…という確立の方が高い)。 僕と妻、そして息子は、近くにたくさんある大きい池のある公園や、その分譲地うろうろ…と徘徊した後、しばらく黙ってその区画を見ていた。 いや、眺めていた…のほうが適切だったかもしれない。 妻と息子の目に何が見えていたのか…それはわからない。 ただ、僕の目には…まさに… 広い庭で遊ぶ、息子の姿が映っていた… んなわきゃーない…。じゃあ何が映っていた?ナンダロウ?でも、ボーっと何かを考えながらしばらくその場所にいたのは事実である。 結局その日は会社を休むことにした。 夕食のために寄った、ファミリーレストランで、僕は携帯電話からW辺さんに電話を入れた。 「あさって、お話が出来ませんでしょうか?」 なぜ明日じゃなくて明後日なのか?…明日!じゃなんか焦ってるみたいだしねえ… 会談場所は我が家のリビングだった。本皮のソファがあるにも関わらず、小さなリビングテーブルを通販で安くお買い求めしてしまった為、なぜかいい大人5人が、その小さなテーブルを囲んで正座していた。 一方には緊張する面持ちのボクラがいた。 そしてもう一方には、『うひ!この歩合金でなに買っちゃおうかなァ?』という感じで頬を紅潮させた(クリック!)W辺さんを中心に・・・ 「ここが勝負どころだぜ!」とばかりに日焼けした爽やかな笑顔の中にも沸々と闘志を漲らせ、渾身の一撃(クリック!)を繰り出そうと虎視眈々としている所長 “幹久” と、 設計課長という名刺を持ちながら、「小ぶりだけど、一丁獲物釣上げてやんかぁ!」(クリック!)と口髭をピクピクさせたダンディ、U村さんが鎮座していた。 三人の名刺を眺め、僕は言った。 「サイサンミサワホーム…って社名がそういえば違うんですね…。サイサン…ってなんですか?」 「ええ(ピカ)、ミサワホームは各地区でディーラー制を取っておりますので(ピカ)。車のディーラー制と似たようなもんだと思っていただければ(ピカ)。当社はサイサンガスとミサワホームとの出資によるディーラーなんです♪」 幹久が白い歯をピカピカさせながら、満面の笑みでこう答えた。 W辺さんによれば、幹久は一時期、全国のディーラーのトップクラスだったらしい。この甘い笑顔で、何人の主婦層が、はんこを押してしまったのだろう? 「大丈夫…なんでしょうね(ニヤリ)」 「ええ!うちを信頼していただければ!!(ピカピカ!!)」 なんていうジャブの応酬もそこそこに、僕は今回の要件をずばりと切り出した。 机の上には、仮申し込みの時に必要な “壱拾萬五千円” が白い封筒に入って鎮座している。 「W辺さんに連れてってもらった例の分譲地物件…埼玉の右上の方のやつですが…例の180平米くらいの区画….及びミサワ…いや、サイサンミサワホームで家を建てようか…を “とりあえず真剣に” 検討したいな〜と思っております。つきましては2週間の仮押えに手を上げさせていただこう…と思っている次第であります」 「あり・・・・・・・」W辺さんが言いかけた瞬間 “幹久”が満面の笑顔で言った。 「ありがとうございます(ピカピカピカ〜!!)。これだけは申しあげておきますが、別に二週間経って断わることはまったく構いません。 当然不安もいっぱいあると思います。 実は僕、長野県出身なんですが、最近ミサワで家を建てまして…この前サムライさんも参加された見学会で行った分譲地なんですが…. 。あそこを決める時、凄く悩みました。僕の妻も某大手ハウスメーカーで設計をやってるんですが、仮押えの間、深夜気がつくと二人で現地に何回も行っていました。 最初は夜になると周りがあまりにも殺風景な為、ガッカリして帰ってきたこともありました。 家の近くに関東最大級の鉄塔があるんですが、鉄塔の人体への影響をインターネットで調べるたびに落ち込んだこともありました。 だから…凄くホットな気持ちでサムライさんや奥さんの不安も気体も理解できます。 ただボクラも精一杯、あの物件がにサムライさんにご納得していただけますよう努力させていただきますので、不安な点、欲しい情報等何でも遠慮しないでおっしゃってください!すべて正直に…資料などでお答えさせていただきますので! 僕の家…多分来年の1月位には完成する予定で今建設中ですが….それを見に来てくれても全然構いませんよ(ピカピカ!)。自分で言うのもなんですが….最高の家です!ミサワで建てて良かった〜と思っています!」 さすが“幹久”・・・である。さすがのW辺さんもこれでは敵うまい。羽毛布団とか百科事典なら…この時点ですでにハンコを押しているかもしれない。あやうく僕の目がハート♪である。 とりあえず僕は今現時点での “ボクラを納得させる為”の情報の提出を以下のようにお願いした。 ● まず、完全な合意の為には(いい年して情けない話ではあるが)ボクラの納得と共に、「僕の両親」「妻の両親」の納得が必要である。 ● 都市計画の全容をはっきり示し、かつ区画整理組合の詳細を説明して欲しい。 ● 前回W辺さんと現地に行った時、この分譲地の地盤は改良工事などが必要ないであろう…と聞いているが、区画整地にあたって、それぞれの区画で数点の地盤調査が事前に行われているはずである。それを詳しく説明して欲しい。また、デベロッパーと販売会社であるミサワ&セキスイの今回の整地に対する見解も知りたい。 ● 周辺の環境を詳しく説明して欲しい。また河川などの災害時のハザードマップなどを出して欲しい。 ● 東京までの通勤時のラッシュ等の状況を教えて欲しい。 ● 本分譲地の建築基準や、この街づくり下での自治体などが独自制定した特有な、景観や建築などに関わる規則等の詳細やその有効期限などを教えて欲しい。また、区画整理地内商業地の現誘致状況を教えて欲しい。 ● ミサワの保証におけるレスポンシビリティの範囲を実例に基づいて説明して欲しい。 ● ………………………………………などなど (他にもたくさ〜んです) さらに僕はこうも言った。 「確かに一生懸命検討します。ただ…、妻の実家の近くで更なる掘り出し物件は無いのかよ〜…という気持ちが隅っこの方にあるのも事実です。 申し訳ありませんが、他の大手ハウスメーカーの建築条件付土地を始め様々なルートで…この路線近辺であたらせて頂きます。言葉は変ですが、2週間という期間限定で足掻かせていただこうと思っています。 そこで… ミサワさんも…ミサワさんに集まる様々な物件の情報を、なるべく早く持ってきてくれませんか?このあたりは小さな工務店や不動産屋が強く、なかなか綺麗な大型分譲地が無いのは重々承知です。 でも…ある程度の環境が保証される分譲地で、僕の希望を適えそうな物件をなるべく多くプロポーズして欲しいのです ボクラはあのMIFパークで見た蔵(クリック!)….そして“いい環境の分譲地”にクラクラであることは間違いないんです。是非よろしくお願いします。」 僕はそう言いながら10万円の仮押え金(これはもし2週間後に断わったら全額帰って来るそうです)を差し出した。 3人のミサワさんは『コクリ』と頷きながらその白い封筒を受け取ったのであった。 全員の湯のみは既にカラになっていた。話し始めてから1時間ほどたった頃だろう。『話も終盤に差し掛かったのかな〜』なんて思っていた矢先、W辺さんが口を開いた。 「ところで…とりあえず、ご検討には予算も必要だと思うのですが…一度我々の方で、あの土地でのプランを設計させてもらえないでしょうか? もちろん決まらなくても設計費用などは頂きません。 今日は設計のU村課長も連れてきていますので、今ここで、いろんな…建てたい家に関するあらゆるご希望を話していただき、それを一応の建築プランにさせていただき、設備なども“一応”ご提案させて頂いて、見積や暫定の資金計画をはじかせていただきたいのです。 もちろんエクステリアからインテリア、引越し費用や諸経費までの暫定予算を全て入れ込んで見積もりは作らせて頂きますので、それとともに“あの土地を”ご検討していただいた方がいいのではないか?と思っているのですが〜」 ボクラは瞬間すこ〜しだけ警戒(クリック!)したものの、『うひ?プラン?リスク無しで??』とかなりノリノリになり、希望とする家の“感じ”を設計課長のU村さんに伝えた。 しかも、W辺さんから 『最初の希望を言う段階では、遠慮はしないでください。当然高いものになるかもしれませんが、理想の設備や理想の仕様/広さ/デザインでいくらになるかと言うのは、いいベンチマークになるはずですから。逆にいうとそこから10%20%を下げていくのは割とたやすいことですから』 な〜んてことを言われていた為、その辺に転がっていた雑誌などを手に取り、好き勝手なことを言い放った。 今から考えてみると、ちょっと恥ずかしい気分にもなったりする、出した希望の“ごく一部”を下に列挙してみようと思う。 今になっては採用したものもあるし、当然のように予算の都合で『ポイッ』と無くしたものもあるが… だってその時は“ノリノリ”だったんだも〜ん♪という感じである。 『風呂はMIFパークで見たM-WOODバスで、しかも広めに!』 『リビングは極力広く!せめて10畳は欲しい。しかもシアターリビングで!家具のバランスも考えてね♪あ、そうそう….今日、我が家の家具のサイズ測っていってくださいよ♪』 『蔵は大小二つ欲しいなあ』 『ダイニングはリビングとは微妙に独立してる感じで。しかもダイニングの窓は観音開きにフル開放できるようにね♪』 『キッチンはもちろん対面式ね。しかもIHヒーターで♪』 『二階への階段はリビングとダイニングを通ってから上がるように』 『洗面所は広くダブルシンクでね。しかもダラスの時みたいに、平たいスペースが広いものがいい!』 『玄関はとにかく広く!ポーチもつけてね♪しかも道に面してない方がいい♪』 『窓は外から見たときに極力一階と二階がバラバラにならないように。どこかはステンドグラスを入れたいのよ♪』 『トイレは2つ♪ウォッシュレットでね』 『リビングは天井が最低でも3.5メートルくらいあるといいなあ〜。で、床暖房ね』 『バルコニーも広くとってね〜。せめてマンションのベランダくらい欲しいです〜』 『外観は白とレンガ調のミックスで♪』 『庭には一面芝生と大きなテラコッタタイルのテラスでね』 『書斎・・・部屋というよりパソコンをやるスペースが欲しい。それはオープンなスペースであって、家族の誰もが使えるスペースでいい』 ほんの一部であるが……..我ながら恥ずかしい…… そんなこんなで長時間の打ち合わせが終わり、ミサワ3天王は帰っていった。 途中で昼寝をした息子が、そろそろ起きる時間になっていた。 ミサワさんを玄関で見送り、僕が振り返ると、妻が僕の書斎へと入っていくのが見えた。 「???パソコンでなんか見るの???」 聞いた僕に、妻は即座に答えた。 「不動産情報調べたり、いろんなハウスメーカーとか不動産会社にメール出すのよ。この近辺での物件情報求む!って♪」 意外な妻のタフさ加減とバイタリティに、少し驚いた僕であった。 疲れた僕は、息子の横で、昼寝でもしようとしてたのに…。 それから3日間が足早に去っていった。 妻の毎晩の不動産&ハウスメーカーへのメール “じゅうたん爆撃大作戦!”(クリック!)が功を奏し、昼間は毎日のように営業の電話があり、そして妻はそれを取捨選択しては、ボクラの土地に関する要望を伝えていたらしい。 僕が会社から夜中に帰ってくると、いつでもパソコンの部屋の電気が灯っていた。 こんなところもあったよ〜(クリック!)…なんてタマに僕の心をグラグラさせるもんだから、『本当に…あそこで決めちゃっていいのかなあ〜』なんて悩みつつ、すっかり寝不足になっていた。 「だってそのレイクタウンは、前にミサワさんと見に行った分譲地の隣じゃん。地盤がかなり弱いってとこじゃないの?」 「…あ、そうか。でもなんかこういうの見たら、もっといろいろあるんじゃないかって気がして…」 そんな訳で、不動産屋さんやハウスメーカーとの物件見学ツアー、さらにミサワのW辺さんからの『次の土曜日に今あるミサワの物件の資料全てを持っていきますよ!それからピックアップして見に行きましょう!!』なんていう連絡もあり、僕らのスケジュールはまるで “使い勝手のいい”売れっ子グラビアアイドルのように次々と埋まっていった。 こんな調子で2週間、体が持つのかよ〜って感じであった。 さて、土地に関する悪戦苦闘はそんなところだが、その別のラインではミサワ軍団の設計作業が行われていた。 『来週、両親と話す前にある程度、“こんな感じの家をマックスでこのくらいの予算で建てるつもりで御座いヤス”という資料が欲しいんだ』という僕の発言で急いだのだろう。 初めて話した日から三日後、数々の土地に関する僕の質問への回答とともに、幹久、U村さん、そしてW辺さんのミサワトリオが前回の僕らの希望を元に描かれた図面などを持ってきたのである。 土地に関する疑問などへの回答を聞きながら、 「で、例えばミサワホームさんが倒産したときなんかはどうなるんでしょうね?」 なんていうとんでもない質問にも、 「う〜ん。明確な答えは出来ないですが・・・ミサワには他のメーカから垂涎の的となるような様々な“技術や特許”がありますからね〜。タダでは潰れないとは思いますよ〜。決してオフィシャルな話ではないですが、万が一…なんてことがあったら、セキスイさんあたりが買収に動くんじゃないかなあ…なんて気もするんですよねえ(ピカ)…なんちゃって〜(ピカ)」 などと上手く切り返してくる幹久を、『できるな…こやつ…』と思ったりしながら、時間はあっという間に経っていった。 地盤の件に関しても、 「開発・整地を担当した三井住友建設さんの方で、きちんと計画的に、地盤については安心いただけるように計画しておりますし、その際当社のほうも、地盤の強さに関するある基準値までの値を出すために、かなり厳しいデベロッパーへの要求をセキスイさんと共同して行いました。 当社の方でも、区画ごとにきちんと地盤の調査をしており、今回御検討いただいている区画の個別データも準備しております。 と、いうのも当社の方で、保証をつけるため、万が一、ご心配になられているようなことが起きた場合、当社の保証になってしまうためです。その数値、データを御覧いただければ、御安心いただけると思います。 ちなみにココの分譲地ですでに8割くらいの区画の方が家を建てられていますが、地盤改良工事などが必要だった例は一区画もありません。」 と、出された地盤調査報告書を眺め、 「ふーん。地盤報告書ってこういうもんなんだ。『ザクザク!』とか『ジンワリ』とか『ガシッ!』とか意外に情緒的な言葉が(地質をあらわすのに)書いてあるもんなんだなあ…」 などと思いながら、正確な読み方もよくわからなかったりするので…、『まあ大手ハウスメーカーが“ここまで”胸張って言うのなら…』 的なあいまいさで、『ふんふん』と数字だらけの調査書を眺めながら、まるで “漫才コンビのおとなしいほう”(クリック!)のように頷きながら説明を受けた。 そして…打ち合わせが持たれて90分くらいが経過したあと、今までヒトコトも喋る機会がなかった設計のU村課長の“満を持しての出番”である。 彼がプレゼンテーションしたものは以下の4点であった。 一階の平面図(クリック!)。 中二階(蔵階)の平面図 二階の24畳スペースのプラン図と、その区切り方プラン(クリック!) 20ページ強にわたる様々な設備関係の企画書(クリック!) そして外観イメージ俯瞰図(クリック!) U村さんの約1時間にわたるプレゼンテーションは流暢でとても楽しいものだった。 確かに、このプランに対するボクラの要望(ちょっとここは違うな〜♪的な…ね♪)はいろいろあったが…それでも 「仕事速いなあ!」 と、広告会社という概ね似たような作業を行う提案型業種に勤務する僕は、素直に感心したのであった。 「まだ概算なのでお渡しすることは出来ないのですが…」 とW辺さんが出した、建物代や土地代、インテリアやエクステリア、庭や諸費用、引越し代などを全部含んだ見積は、予想通りボクラの想定金額を4〜500万円ほど超えていた。 「ウヒー!!」 とも思ったが、これはすべて理想の設備や広さ等々を取り入れた結果・・・だと自分に言い聞かせ、 U村さんのプレゼンテーション中にコマゴマと言った希望(キッチンやダイニングは西側じゃないほうがいいなあ…なんて根本的な我儘もありましたが)以外に、 ボクラはこんな要望をW辺さんに突きつけた。 ●とにかくボクラの予算上ではここまでは出せない。建物の値段を約10%くらい下げたい。その上で値引きも含め全体で総額から17-18%引けたら最高!頼みますよ〜。 ●とはいっても建物面積は10%は下げたくない。 ●上記を満たす最適なプランを3日後くらいに見れますか? 恐るべき要求である。お客様ならではである。僕にとっては初めてのクライアント気分である。 でも…まあ以外に彼らにとっては普通のリアクションだったんだろうね。「おっけーで〜す!!」って感じで帰っていったから。 息子が寝た後、深夜ボクラはミサワ三人衆が持ってきた書類をしばらく一生懸命眺めていた。 妻がポツリと言った。 「ねえ…ミサワの家って…“蔵のある家”ってやっぱり高いのかしら?だってこれじゃあ、私たち…あの土地の価格が…予定より土地代は安いね♪なんて言ってたあの土地の値段が…“いっぱいいっぱい”の払える限度…ってことにならない?」 僕らはお互い顔を見合わせた。 「いいとこに気がついたねえ」 僕は妻に声をかけた。 …そしてもう一度、無駄に…資金計画を丹念に洗いなおすのであった。 幸いにも会社の仕事はこの頃はあまり忙しくなかった。 そのため、平日の様子や通勤を試してみよう!と、数回、僕は就業時間中に約1時間ちょいかけて、現地まで足を運んでみることが出来た。 その駅(クリック!)は線路の西側からしか降車できず、ボクラの分譲地がある都市計画地(線路の東側)へは、一階地下道を通って線路を潜らなければならない(クリック!)。 これはちょっと面倒だったが・・・ 「きっと都市計画で東側が栄えてくれば、東口もできるだろうよ・・・」 とポジティブ・シンキングでやり過ごすことにした。 駅東側のバス(もしくはタクシー?)ターミナルから分譲地を眺めてみると・・・ 見事に何もない(クリック!)。 5分ほどテクテクと分譲地へ向かって歩いてみると・・・ やっぱり家以外は何もない(クリック!) 「都市計画が完了すれば、見違えるように『ずばばばば〜ン!!』とぉ!!…しかも土は粘土質だから風邪が強い日でも、“東武東上線沿いのような”スッごい土ぼこり(あの辺は未だ畑が点在している上に、赤土質のため、土埃が凄いんです)にはならなそうだしね♪」 と、これまたポジティブ・シンキングでやり過ごすことにした。 そして、何にも無い土地を見ては(クリック!)…「これがオレの仮押えしている土地かぁ…」と、独り悦に入るのであった♪ 会社から家に帰ると毎日、妻はパソコンでの“もっと良い物件”の情報収集に勤しんでいた。 「調子はどうっすかぁ〜?」 と、言う僕に、 「いや〜意外にいいの無いのよ〜。パソコンで探すのもそうだけど、いろんなハウスメーカーや不動産屋さんが持ってくるのも〜。 ちなみに次の○曜日は西武不動産さんが鶴ヶ島方面の物件にたくさんつれてってくれるって。だから予定入れないように♪」 なんて、この数ヶ月の苦労していた日々が無かったような発言でノリノリであった。 それ以外にも、二人で手分けをして、あの分譲地の周りの治安や、生活環境、中学や高校の荒れ具合、等々を、警察庁からのデータを取るなどの大技も駆使しながら調査し、毎晩遅くまで悩みに悩んでいたのであった。 なぜか、運のいいことに、この期間、息子が夜早く寝てくれていたのが本当に助かった部分のひとつである。まさに “ザ!家族!”で取り組んでいたと言っても過言ではあるまい。 さらに、平行して家のプランの話も着々と進んでいた。 いつの間にかに主役の座に座ったかのようなU村課長をはじめとした、幹久、W辺さんのミサワ三銃士とは 「ボクラに他のこと考えさせないようにわざとしてんじゃないの〜??」 と邪推(実際営業戦術かもしれないが)させるくらいに、ホントに毎日のように…夜や朝に会ってたよ…。 日々まったく別の角度から、沸々と湧き出してくる土地に対する様々な疑問にも、W辺さんや幹久は様々な資料を(その物件のある役所まで行ったりして)取り寄せ、ボクラに説明を行ってきていた。 そして設計もボクラのころころ変わる意見に、辛抱強く喰らいついてきて、 「本当にこのまま家建っちゃうんじゃないの〜??」てな思いを十分にボクラに持たせてくれた。 (途中で多少、このトントンと進む流れに不安になったりして、『あくまでもこれは仮の…もしあそこの土地でボクラが決めた時の過程の話ですよね〜。もし決めたら決めたで…ボクラも“もっともっとぉ〜!!”勉強とかして…真剣に悩んじゃっていいんですよね〜』なんて途中でポツリ…と言ってみても『ええ(ピカ)もちろんですよ(ニコ!&ピカ!)』なんて言われるもんだから、ボクラもマスマス“調子ノリの助“になって行った。) ボクラの瑣末なジャスト・アイデアに対しても、設計のU村課長は丹念に、それこそボクラの目の前でフリーハンドで絵を描いてくれ(クリック!)、楽しい時間とともに設計は一段落=ある種の完成に向けてブラシュアップされていった。 いつの間にかに外構のプラン(クリック!)なんてものも出てきたりした。 「外構に関しては、もしご決定を頂いて着工してから考えていただいてもいいんですが、一応総予算算出のために勝手に創らせて頂きました〜」 と、言うことだったので、まあとりあえずはスルーで頷いといた。 そんなこんなで、何気にいい感じのプランが出来てきた。 「これで父とお義父さんに、『こんな感じでこの土地はいかがでやんすかに〜』…と、説明ができるな〜」 なんて思っていたころであった。 当初のプランより、建坪は5%ほど減っていた。設備なども当初の最上級プランからは若干中級よりへとシフトしていた(その代わり、ルーフバルコニーなんていう巨大な追加もあったりはした♪) 「一応総予算を弾いてみました♪」 W辺さんが幹久を連れ、我が家に乗り込んできたのであった。 「最初にお伝えしたいことがあります」 幹久が、普段のさらに10倍増しの笑顔でこう言った。 「今日、総額のお見積もりを出させていただくに当たりまして、私達、支店長に一つお願いを掛け合って来ました。と、いうのも私の営業所は今期、既に予算を達成できているからです。端的に言ってしまいますと、サムライさんがこのお土地で、ミサワでいい!と決めて下さったならば、本体価格の○%のお値引きをさせてください・・・とお願いに行ったのです。」 僕は身を乗り出した。 「もしサムライさんが、11月30日までにGO!を出してくれるのなら…という条件でそのお値引きを勝ち取りました〜。なぜ11/30なのかは・・・サラリーマンの営業所の月末…ということでわかっていただければ….と…」」 そんな前口上の後、頂いた見積は、総額(建物本体に水道引き込みなどの附帯工事、カーテンや照明費用、エアコン費用、外構工事費用、土地代、設計費用、ローン諸費用、引越し費用、地祭費用もちろん消費税…)でボクラの予算を150万弱オーバーしているものだった。 「まあ、何とかなるだろう…あと150万くらい落とすのは。設備もまだまだかなりいいものも入ってるし。カーテンとか照明は友達のとこから安く買えばいいし。ああは言ってるけど、値引きだってもっと出切るんじゃないの〜?」 なんて心の中でこっそり思った僕は、にこやかにその見積を受け取った。 「あくまでも、この値引きは○%というのではなくて、この額で…ということでよろしいですね。今後もしボクラがこの土地で決めて、数百万下げた設計で着工へのGO!を出した場合も、この値引き額は生きていく…ということでよろしいですな♪」 値引きについては厳重に念を押し、そしてさらに僕は言った。 「ではとりあえず、×でも○でも11/30までに返答します。○の場合は200万の申込金が必要なんですね〜。そしてもう少し細かく…見積をじっくり拝見させていただきますわ。で明日明後日くらいでこちらから一度連絡します。床暖房は無くさないですが、浴室暖房乾燥機はどうか…と、いう部分も含めてね…ニヤリ」 W辺さん、そして幹久も笑顔を壊さずこう言った。 「なんか気に入ってくれそうな気がしてきました〜。嬉しいです。ニヤリ」 そして彼らは続けてこう言った。 「では一応『マル!!』の時のために、この図面と金額で基本請負契約書の用意に取り掛かりますので〜ニヤリ。」 デッドラインは11/30…。予定(12/2)よりも2日間早まった。 一戸建てにもしも住んだなら、もう見ることは出来ないマンションからの夜景(クリック!)を眺めながら、 ボクラは「この悩みの日々が2日間縮まった…と思えばいいだろう…」 と、ポジティブシンキングを繰り返すのであった。 そして、僕は実家に電話をかけ、次週の平日、会社をまたまた半休して父親と物件を見に行く日のアポイントを取るのであった。 ちなみに明日は、W辺さんとミサワのほかの物件をたくさん見に行く予定となっていた。 密度の濃い、非常に短い期間であったことは間違いない。 西武不動産をはじめとした様々な不動産屋さんと様々な土地を見に行った。 いくつもいくつも不動産屋さんが運転する車に乗って、様々な土地を見に行った。まるで最後の足掻きのようであった。 しかも、土地だけじゃ面白くないので・・・という理由から こんな家(クリック!)やこんな家(クリック!)そしてこんな家(クリック!)などの輸入住宅専門の工務店などもいくつか訪問し、そこがなにやら “めぼしい土地”などの話があればそこも見に行ったりした。 ミサワホームのW辺さんも我が家に大量の資料を持ってきた。 「一応、今わが社にあるこの辺の物件の資料全部持ってきて見ました〜。」 A4の紙が数センチ分重なっていた。 当然、それ全部は見に行けないので、その中から我が家の様々な事情と要望に会いそうな物件をいくつかピックアップし、W辺さんの運転する車で見に行くことになった。 例えばこんなとこである(クリック!) … 結局不動産探しというものは、焦ってみたってなんの解決にもならないのである。 『もうここしかないでーす!もうビビッ!!っときちゃいました〜。僕はここに骨を埋めたいでーす!!』 なんてとこは、そうそうないのである。 どれも帯に短し襷に長し・・・と、いうより何が帯で何が襷だかすらよくわかっていないのである。 無尽蔵にお金でも持ってれば、もっと簡単に 『あ〜ん♪ここ気に入っちゃった〜ン♪もう一目ぼれ〜ン♪ちょっと家なんか建ててみちゃったりして〜ン』 な〜んて思ってみれて、且つ意外に気に入っちゃったりするもんなのかもしれないが、 広告業界にポツーンと生息し、妻は素敵に子育てをする専業主婦であるサラリーマンの庶民はそうは行かないのである。 普段考えたこともないような“家族とのライフスタイル”や“コミュニティとの共生”なんてことをいきなり突きつけられて、もう頭が “オーバーフロウ” してしまい、かえって理想が見えなくなってしまうのである。 そこで、ある種の妥協が必要になって来る訳だが、その妥協はすごーく長い時間をかけて、“諦めという納得”に変化していくのである。 そしてもうしばらくすると、その諦めも、実は“自分のリアルライフスタイル(これをデイリーライフと言ったりしますね)”に照らし合わせてみれば、“なーんてことないことだったわ♪オホホホホ♪”と気付くのである。 と、ながなが書いてみたが…“つまり不動産選びは思い切りだぜ!!”…と言うことなのである。 逆にだからこそ…『既に例の分譲地…どうしよっかな〜♪』と、考えている僕が、そんな焦っていくつもの物件を見て回ったからって、『これだぜ---------------!!!!』なんて思わないのであった。 『だんだん面倒くさくなってきたな〜。もうあそこでいいかにゃ〜?』 と思うのが関の山なのである。 そんなわけで、W辺さんとの不動産めぐりも、見事実を結ぶ!!なんてことにはさっぱりならなかった。 どちらかと言うとどこを見てきたかより、 W辺さんと道中で見つけた豚農場が経営するレストランでBBQを食べ、しかもそこに隣接するフィールドアスレチックのような公園で息子を散々あそばせた(クリック!)ことのほうが、目いっぱい記憶に残っていたりする(写真は遊ぶ息子を見つめるW辺さん。背中には『オレはここで何をしてるんだろう…』という、ハウスメーカーサラリーマンの悲哀がいっぱいです♪) そんな素敵な状況の中… 会社を昼間ちょこっと(数時間ほど。しかもそのまま立ち帰り〜)抜け出した僕は、父親を帯同し、例の物件を見に行ったのであった。 これは『…もう少しだけ…検討してみるけど…ここを僕の住処に考えているんだ…』という意思表明と、僕を長い間育ててくれた親への『ちょっと横浜から離れることになるけど…許してチョーダイ?』というお許しを乞う意味を持っていた。 父とは分譲地のある駅で待合せした。 『いや〜遠いなあ!横浜から直通で一時間半くらいかかったぞ〜。しかも横浜に比べて、ちょっと寒くないか?』 それが父親の第一声だった。 “いつかは横浜に戻ってくるかも知れないね〜♪”なんていう可能性がなくなりつつある息子への惜別の辞だったのだろうか?父の顔はいつものように笑ってはいなかった。 …この日は“まったく運のいいことに”天候は雨で、しかもとんでもなく寒かったので…単にそのせいかも知れないが。 「最初に言っておくけど、横浜と比べちゃ駄目よ♪僕だって宝くじでも当たったら横浜に住んでるんだから。でもね〜。横浜で5〜60坪の家を買おうと思ったらね〜。息子の為に広い庭が欲しいんだよね〜」 駅から分譲地までの道中、僕はそう言った。 「ずーっと住むのは、子サムライじゃなくってお前だよ」 父はそう言った。 歩いている途中に、なぜか雨は止んだ。もちろん太陽はお出ましにならず、雨に濡れる平日の新興の住宅地は、驚くほど静かだった(クリック!)。静か…言い方を変えれば“さびしさ”を感じるほどだった。 「ふーん。静かで…しかも住んでいる人の層もわりと良さそうじゃないか」 父は仮押えをしている土地の前で僕に言った。 「ただ・・・・」 僕は父の方を見た。 「北道路なんだなあ・・・。しかも間口が狭いなあ・・・。南側の家は真四角だしなあ・・・」 僕が幼少のころから青春時代を過ごした、横浜の実家(クリック!)は、横浜らしい“山を切り崩した斜面”にある数千の区画のある大きな分譲地である。 傾斜地ゆえに分譲地全体が山の頂上に向かってひな壇のようになってはいるのだが、我が家は北側に道路があった。 最近の分譲区画と違い、昔の分譲地は、わりと横長の区画をする傾向にあったようである。 そのため、左右の隣家とはわりと距離を保つことが出来、しかもうちなんかは駐車場を庭の地下につくったことによって、その上が“まるでルーフバルコニー”のように庭として使えていた。 そのため、玄関の日当たりなどは非常に良かったと記憶している。…反面庭の南北のスペースは最近の分譲区画に比べると狭く、隣家との距離が4m程度しかとれていなかった(そうはいっても最近の住宅事情から言えば、十分広いのだが)。 「それでもさあ、ずーっと俺は後悔してたんだよなあ。ちょびっと安かったからって北側道路の家にしちゃったことを。南側の家から落ちてきた雪とか、庭でなかなか溶けないんだよ。草木も影はなかなか生えないし。」 僕は父に、なんで北側道路を選択したかを説明した。 プライベートを保てるバックヤードを重視したこと、しかもここは普通に家を建てれば6メートルほど南側の家とは庭としてスペースが取れるので、多分日当たりは“めちゃめちゃ悪い”と言うほどではないだろう・・・、この分譲地は非常に環境がいいのだが、もう南向きは駅から遠めの区画しか残っていないこと、しかもやっぱり南向きの土地はチョビッと高いし、しかも景観上電線を処理しなければいけなかったりして(この分譲地では電柱は北側にあるのです。なんで南側の家は景観上、道路を横切るような電線の配置を避けるために、庭内に擬似電柱のような装置をつけなくてはならないそうです)さらにコストがかかる…等々。 「それでも・・・俺なら南側にする。もし、費用面で不安があるのなら、少し俺が出してやっても良いから南側も検討したらどうだ?歩く距離が数100m伸びることは考慮に入れなきゃならないけどな」 父親がポツリと言った。 「妻が車で迎えに来るから…僕はここでバイバイするよ」 駅に戻って僕は父がまた横浜に帰るのを見送った。 横浜まで直通の電車はあと数分で来るようだった。 「とにかく…」 父親が切り出した。 「まあ、お前の人生だから。決めるのはお前らだ。しかも家は子供のために買うもんじゃない。お前らの為だ。 ・・・もし、あそこに決めても…●●●万円なら…俺は援助してやるから。これは無条件で出してやる。だから良く考えて結論を出しなさい。」 僕はしばらく父親の乗った電車が行った先を眺めていた。 『僕にも…いつかこういう日が来るんだろうか…』 そう考えて少し寂しくなっていた。無性に息子の顔が見たくなっていた。 そして、ミサワホームのW辺さんに携帯電話から電話をかけた。 「近日中にもう一度、現在の設計での僕の家の日当たりを、図示してしっかり説明してください。まわりの家もミサワさんで建てた家なんだから、高さとか幅とかわかりますよね。 できれば、一年の太陽の高さヵら勘案してミニマムとマキシマムの日時で図示してくれると嬉しいです」 「設計と相談して…や…やってみます…」 電話の向こうでは、W辺さんの焦る声が聞こえた。 ミサワ三銃士が設計の打ち合わせで我が家にやってきた時持ってきたお土産は、僕の予想を越える素晴らしいものだった。 U村さんがその十数枚にわたる資料を、ニコヤカに説明し始めた。 「サムライさんの区画とその周りの家の図面を参考に、一年春夏秋冬のそれぞれ特徴のある一日の影の出来方を一時間毎にコンピュータで作図してみました〜。 さすがに、南側の家と7メートルほど空きが取れるので、冬のもっとも太陽が低い位置にあるときでも、家に影が来る事は無いですね〜。冬に庭にもサンサンと日が当たるかって言うと、さすがに冬至の時とかはそれは無いですけど。 でもこの図でも分かる通り、三月初旬くらいになれば、庭にも十分に日が当たってますよね〜。特に東側をダイニングにした時のプランでは朝はばっちり太陽が入りますね〜。」 僕が身を乗り出す前に幹久が身を乗り出した。 「U村さん、この図凄いですね〜。分かりやすいし。こういうのって、別のお客さんでも作れるモンですかぁ?」 幹久も、そしてW辺さんも、このような図は見たことが無かったらしい。 「僕にもこれ、後で一部くれませんか?」 幹久は少し興奮したように、U村さんに申し出ていた。どちらかというと僕よりも感心して聞いていた感じがした。 きっとこういった日当たりの話、お客さんからは多いんだろうなあ・・・。 「本来、この図はもっと密集した住宅地なんかで北側の斜線規制なんかがあるときに使う図なんですよ。 今回サムライさんのとこの分譲地は、規制で南側玄関の家は最高二階建てで、蔵階すら作っちゃいけないことになっていますから、この図以上高い家はありえません。 その上サムライさんの家は現在の設計段階では“蔵のある家”ですから、2階部分は周りの家よりも1.5メートルほど高くなりますね。幸いにも周りの家はすべて普通の二階建てですから。 そういった意味からも、全ての部屋において、かなりの日当たりが確保できると思いますよ〜。」 僕はふんふんと頷いて聞いていた。 その“割と日当たりが確保できる・・・”という事実よりも、そのU村さんの説明の“いわゆるプロっぽさ”にすっかりやられてしまっていた。 「これだと・・・へたすりゃサムライさんの家と北側の道を挟んだ家の方が、冬至の時は陰になる可能性もありますよね〜。道は6メートルしかないんだし・・・」 W辺さんが“とりあえず、僕もなんか言っておこう”みたいな感じで言った。 「う〜ん、さすがにね〜。南向きの家は北側にくっつける形で家を建てるからそれはないね〜。まあ庭の南端とかは1月2月は影の可能性が高いけどね〜」 “おいおい、それはさすがに言い過ぎだって”・・・と、言う感じで苦笑いしながらU村さんが話した。 「だけど、これだけは言えますよ。 都内などに限らず、もっと密集した分譲地では、いくら南玄関の家だからって言って、道を挟んだ南側の家の影によって、決して満足のいく太陽がさんさんと来ることは無い場合も非常に多いんです。 それはこの図を見てもお分かりになると思います。 だから一概に南玄関の家が全ての北玄関の家に勝るか・・・といえばそれはクエスチョンマークなんです。 そういった意味でも・・・確かに南側のほうがさらに日は当たりますが・・・この分譲地は、北側であっても、非常に住みやすい、そしていい家を設計しやすい開発になっていると思いますよ〜」 (実際、後にU村さんと飲んだ時に話を聞いたのだが、この分譲地の開発には膨大な労力がかけられたらしい。まず、ミサワとセキスイのモジュールが異なるため、その区画割一つをとっても一筋縄では行かなかったらしい。『まるでプロジェクトXみたいだったって、関わった人間は言ってました〜』とU村さんは笑っていた) 今回のU村プレゼンテーションによるソリューションは100点だった。 僕は早速その図を横浜の実家にファックスし、電話をした。 父もいろいろ言いたい事はあるが・・・ってな感じで、大きな度量を示してくれた さて、明日は僕は会社だが、妻がお義父さんを連れて、現地に行くことになっていた。 そして・・・これが、今思えば最後のステップ、そして最後の超難関になったのであった。 僕の通勤は一般のサラリーマンに比べたら少し恵まれているかもしれない。 業界的な性格(?)もあり、朝の仕事開始が若干遅いことが多いのである。故に朝の通勤時はラッシュにならずに済む・・・どころか極たまには座れてしまったりする♪こともある。 妻がお義父さんやお義母さんをつれていく日、僕はいつものように東京に向かう為に東武線に乗っていた。 別に僕の“強権発動!”による関白宣言!・・・と、言う訳ではないのだが、我が家では、僕が会社に行く時は、妻&息子揃ってエレベータの前まで見送りに来ることが、半ば慣例化している。 まあ、どちらかと言うと、息子の『パパにただいま!するでちゅ〜(おいおい逆だって!バイバイだってば!)。お外までいくでちゅー!』と、いう強くありがたい意志によって、妻は “しぶしぶ” 出てくる感じもありや無しや・・・と、いう感じではあるが。 ・・・と、話がずれたが、 「もし、時間があったらこれをご両親に説明したら良いんじゃない?」 と、エレベータの前で妻に渡した地盤調査報告書のコピー(クリック!)を僕は、運良く座れた♪電車の中で食い入るように必死に見つめていた。 この地盤調査報告書は、ミサワが分譲地としてここら一体を積水ハウスとともに売り出すため、各区画を暫定的に2点だけで調査したものである・・・と説明されもらったものである(本来は地盤調査は設計の図面にあわせ、建物の角の4点で行うらしいです)。 僕は地盤にはヒトコトあるお義父さんが、“あの分譲地をなんと言うか”が少しだけ気になっていた。 今回の住まい選びに際しては、お義父さんにも多大な協力を頂いた。 様々な不動産屋とも掛け合ってもらった経緯があった。しかも前にも書いたように、親戚には妻の実家を建てた工務店まであった。 しかし結果的には、我々夫婦が勝手に手配したミサワホームが探してきた分譲地(しかも今の実家からは結構遠くなる・・・)で今は検討の最終段階に入っている…という負い目が多少也ナリともあったのも事実である。 しかも気になる点があった。 ほんの数日前、インターネットでその分譲地あたりのいろいろな事象を集めていると、ある“あまり知りたくなかった”情報が僕の目に飛び込んできた。 『地盤沈下の町』 これは決してボクラが検討している分譲地“ドンズバ”の場所ではないのだが、5キロメートルほど離れた町がそういわれていたらしいのだ。 最近は地下水の汲み上げ規制などでおさまっているらしいが、よく沈んだ時(笑)では20年間で数十cmも沈んだらしい。 周りが地盤沈下しても、岩盤まで基礎が打ってある高層建物などは沈まない為、とある古い団地などでは入り口に入るのに後から徐々に階段がつけたされた・・・なんてこともあるらしい。 よせばよかったのだが・・・そんな話を妻と僕がした時は、お義父さんの顔は少々曇ったように見えた。 たしかにボクラの検討している分譲地は、もともと国鉄の操車場であり、わりと長年かけて踏み固められているところではあるらしい。 しかも三井建設に強いた積水とミサワホームの開発条件によって、サーチャージという工法(残留沈下を軽減するために、軟弱地盤上に計画盛土以上の盛土を行い圧密を促進させる工法・・・と土木用語の本には書いてありました)が3年間も施され、30センチ以上も既に沈められたらしい。 その上で2メートルの盛土(つまり人工地盤ですね)があるのである。 だから安心・・・とは納得したつもりではあったのだが、そんなものとお義父さんの所見とはまったく別物であろう。 僕は軽い胸騒ぎを覚えた。 その日僕は直行で上野にある某プロダクションで打ち合わせだった。 打ち合わせが終わったのはお昼を少し過ぎた頃であった。 不意に僕の頭に思いがよぎった。 「お義父さんがどう思うか・・・ばかりを考えているけど・・・もしお義父さんが『OK!いいじゃねえか!!』って言ったら・・・ボクラは結局どうするんだ? もう約束の11月30日まであと数日じゃないか・・・いったい僕はどうしたいんだ?」 一番大事なことを忘れていた。 結局ボクラはどうしたいんだろう?“気に入ってる”・・・と、いうのと“そこに決めちゃうよ!”っていうのには結構なが〜い道のりがあるはずだぞ! 僕は会社に電話をかけた。幸いにも電話口には事務職の女の子が出た。 「悪いんだけど・・・ちょっとトラブルが起きたんで今日はこのままエンドレス打ち合わせでノーリターンって・・・ホワイトボードに“こっそり”書いといてくれるかな?」 彼女の返事は絶妙だった。 「ノー足りーんって書かないように気をつけますね♪」 そんなわけで僕は、北に向かう電車に飛び乗り、現地へと向かったのであった。 上野から電車に乗ること数十分・・・。駅を降りた僕は足早に分譲地へと歩を進めた。なぜかその頃になると、心は“ワクワク”していた。 雨が降った翌日の、天気のいい日の分譲地は、多少の贔屓目も手伝って、平日の静かさの中にも生き生きしている感じがあった。 途中の空き地などで散見できる、(水はけが若干悪い証拠であろう)まだ乾いていない水溜りだって、『そんなのアイ・ドン・ケア―♪』であった。 分譲道の中に作られている、歩行者用小道(カッコつけたらペイブメントとか言っちゃうんでしょうか?・・・クリック!)を歩いて行くのもなんだか楽しかった。 さすがに、11月後半の昼時である。 前の家の影によって、我が家のお庭になり得るところには大きな影が来ていたが(クリック!)、それもまあ許せる範囲だし(クリック!)、しかもミサワホームさんからの説明で事前にわかっていた部分もあり(クリック!)、 『まあ、部屋はそれでも太陽の中だしね〜』 であった。 そんな時、根拠のないルンルン気分の最中、後ろから聞きなれた声がした。 「あれ〜パパ〜何でここにいるの〜???」 振り向くと、そこには息子がいた。 彼らは既に数十分前にここを訪れ、そして一通りこの分譲地を見た後らしかった。 ニコニコしたお義父さん、お義母さん、そして“しぶーい”顔をした妻が立っていたのであった・・・。 僕の心は、すこし“ざわざわ”した。 第六話につづく(クリック!) |
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