サムライ一家の 〜そしてボクラは家を建てるのだ〜 /モクジのページへ |
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正直言って、僕は少し疲れていたのかもしれない。 この夏は冷夏だった・・・とは言いつつも9月に入ってからというもの、“単に夏が1〜2ヶ月後ろにずれただけでした〜♪えへへ” という感じで、鋭い日差しの残暑がやってきたことも、その理由の一つではあろう。 資料請求などをする事によって、しかもインターネットでの資料請求・・・なんていう便利なもののせいによってさらに簡単に、その折り返しのセールスの電話が、毎日数件かかってくるようになったのも、その疲れを増長させる原因の一つであることは間違いなかった。 さて!市街化調整区域!!役所に自分で調べに行ってみよう!! な〜んて、意気込んだものの、元来の役所嫌いもあって、中々重い腰は上がらず、はやそれを思ってから数週間が経っていた。 そういえば、来年から息子は幼稚園に行く年齢=三歳である。 とりあえず夏のうちに、家の近所からバスが出ている“泥んこ保育”で有名な幼稚園にも、入園の申し込みを入れておいた。 「あ・・・、もし家が少し遠くで見つかっちゃったら、あの幼稚園もキャンセルなんだなあ・・・。子サムライ、体験入園の時、楽しそうだったのになあ・・・」 それ以外にもいろいろあったが、なんかそんな事を一つづつ思い出していくたびに、“家探し”自体が面倒くさくなってきたのも事実であった。 「私達、土地ばっかり見てるけど、建物は結局どんなのがいいんだろう?」 妻のそんな言葉で、 「じゃあ、ハウスメーカーの住宅展示場でも、冷やかしに行ってみようか?まあ土地もないし相手にされないかもしれないけどね〜」 なんて軽い気持ちで、隣町の大規模住宅展示場に出かけてみたのは、残暑と秋がミックスしてしまい、お世辞にも快適とは言いづらかった、10月のある日の事だった。 当たり前のことだが、住宅展示場(クリック!)には、素敵な・・・建物面積が大きい・・・そして、設備や建具なども最新でかつ高級仕様の・・・ こんなに立派な家ばっかり並んで“庶民”の参考になんのかよ〜!! といった感じの、各ハウスメーカーの「さあ!いかがでしょう?!」的な自信とやる気マンマン(C横山まさみち・・・クリック!)に満ち溢れたモデルルームがたくさん建てられていた。 その中央は公園になっていた。 車を駐車場に停めて、真っ先にそこにきた僕らは、公園で走る息子を眺めながらちょっとばかり途方にくれていた。 「どこ行く?」 妻が僕に聞いた。 「ンなこと言われても・・・ねえ・・・。目的も特に無いしねえ・・・。」 各モデルハウスの前には、様々な子供が好きそうなキャラクターグッズが置いてあった。 ご自由におとりください・・・と、いいつつ、選んだ瞬間に営業マンが揉み手してくるんだろうなあ・・・。 なるほど・・・、まずは子供から引くのね・・・ それじゃあ、その戦略に見事に乗ってやろうじゃないか。 ぐるっと一回りして、一番いいもんくれそうなところから行って見るか・・・。 な〜んて、戦略を妻に打ち明けてみたのだが、妻は少々渋い顔。 「きっと大きな会社のほうが、グッズは充実してるんだろうけど・・・なんか凄い大手メーカーは、ちょっと相手してくれなそうな感じしない?私達はまだ土地もないんだし。」 「それもそうだね〜。まあ今日はある種の勉強が出来ればいいんだからね。」 と、もしこのサイトを該当するメーカーの方が見たりしたら“非常に失礼極まりない”話ではあるのだが・・・ あんまり聞いたことの無い名前のメーカーを2-3件見に行ってみよう♪ ・・・と、いうことで“檜の家”と“近藤建設”という二社のモデルハウスに「こんにちわ〜」と、入ってみたのであった。 「瓦茸き(かわらダケき)ってなんですかぁ〜?」 「・・・いや・・・それは瓦葺き(カワラブキ)って読みます・・・屋根の種類の・・・ことなんですが・・・」 (・・・あ・・・、そうなの・・・。僕の好きなナガノトマトの“ナメ茸”の字に似てたから・・・つい・・・) な〜んて、こともあったが、その(僕も人のことは言えないが)丸まるとした大きな“桧の家”の営業の方は親切丁寧にいろんなことを説明してくれた。 家の工法には様々な種類があること、そしてなぜ“桧の家”は木造在来工法や瓦屋根に拘るのか・・・などを、とくとくと説明を受けた。 僕は「へえ〜・・・へぇ〜・・・」と、僕がダラスにいる間に大流行した・・・といわれるあの番組のように、感心することしきりだった。いや〜いい勉強になった〜。 「土地からお探しでしたら、もしいい土地があったらお電話しますよ♪」 と、言われた僕達は、一応電話番号を渡して“桧の家”を後にしたのだが、そういえば今改めて思い返してみると、それ以来一回も電話とか来たことないな・・・ここからは。 次の近藤建設は、忙しそうだったせいもあったのだが、しばらく誰も対応してくれず・・・僕らは堂々とモデルハウスの中を見て回った。 さて、もう十分見たし・・・というところで、帰り間際になって営業の方が寄って来た。 アンケートに答えながら、ちょっとした雑談をしていたのだが、ここの営業マンは非常に子供への接し方が上手かった。 「今ならキャンペーン期間で●十%サービスですよ〜」 に代表される、お金に関するトークが多かった為、若干“現実”に引き戻される感があり、話は“桧の家”の方が面白かったのだが、息子はここのモデルハウスが非常に気に入ったようだった。 さて・・・秋の訪れをイヤでも感じさせるように、夕方になると暗く、そして少しの寒さを感じるようになっていた。 ボクラは外の公園に戻り、季節の移り変わりを肌で感じていた。 「今日は楽しかったね〜。そろそろ暗くなりつつあるし・・・戻ろうか?」 そんな話をしていた時だった。 息子が言った。 「あ!ミッフィーちゃん(クリック!)!!」 そこには、いかにも「大手でござ〜いいいいいいいいいい」 といった感じの三階建ての 建物が建っていた(クリック!)。 のぼりには“ミサワホーム”と、これまた“堂々と”シルク印刷が施されていた。 初めての住宅展示場めぐりで、なんだかお客様としての気分を存分に味わいすぎてしまい、自分が少し偉くなったと、“初めてのクライアント気分”を味わっていた、いつもは逆の立場の広告代理店マンの僕は、妻に言った。 「ちょっくら・・・ミサワホームも見てやるか♪」 そして僕らは、ミッフィーの間を通り抜け、ちょびっとドキドキしながらミサワのモデルハウスの玄関に立ったのであった。 「ぴんぽろぴょ〜ん♪」 立派な大きな玄関をくぐると、いきなり音がなり、なぜか知らぬが「あ!ヤベ!!」と思ってしまった。 「Uターンして帰るか!」 と思うまもなく、玄関から入ってすぐ横の事務室のようなところのドアが開いて、 「ムム!サーファーか?」と思わせるよな色黒の、スーツを着た“東幹久”のような人が、屈託の無い満面の笑みで出てきたのであった。 彼こそ、僕らがその後の重要なキーマンとして接する事になる(とはいっても契約後はめっきり会わなくなってしまったが)ミサワホームの営業所長、僕と同い年のS氏であった(彼はそのファーストインプレッションのため、その後我が家ではずーっと“幹久”と呼ばれるようになった)。 さらに彼から半歩遅れる形で、まだうら若き営業マン、新婚ほやほやのW辺さんがあとから続いた。そして二人は声を合わせるように言った。それはその後何回も聞くことになる、お決まりの挨拶だった。 「こんにちわ〜。いらっしゃいませ〜」 ミサワのモデルハウスの内部を、割と自由に20〜30分程見せてもらった後、2階のダイニングルームにて、W辺さんとお話をする事になった。 ミサワの家を見た感じとしては、今まで見た二社のモデルルームに比べると、なにか、たとえばいま流行りの“プロバンス風”・・・みたいな奇をてらったような部分が無い気がした。 良いか悪いかは別にして、なにか大手の余裕・・・というか、凄く“マジメ”に作られている・・・そんな気がした。 (閑話休題) まだ、家を探し始めたばかりの頃、とある近所の建売の新聞折込広告を見ていたら、“流行のプロバンス”みたいな広告コピーを発見したことがあった。 僕はその時、 「?なんでそれが流行なんだ?逆にちょっと古いんじゃないか?埼玉だからかな?」 とか、生粋の埼玉県人が聞いたら非常に失礼なような事を考えていた。 ・・・よくよく思い起こしてみると、僕はその時、“プロバンス”とプロパンガスをすっかり間違えていた。 そんな勝手な間違えで、僕の心のなかで“勝手に馬鹿にされた”埼玉も、あまりに可哀想であるな・・・。 (・・・と、話は戻って) W辺さんは非常にエネルギッシュに、しかし若い割(27-8歳くらい?)にはある種の落ち着きをはらみながら、僕らにミサワホームの“家作りの基本概念”を説明してくれた。 “木質パネル工法”、“高気密・高断熱”“災害時の性能”等々。 「阪神大震災でもミサワの家は倒れませんでした〜」とか、「南極の日本基地はミサワホームが建てています〜」 など、 ミサワホームで家を建てる人なら必ず最低一度は耳にする事になる話を 「へぇ〜へぇ〜」と、へぇボタン連打で聞いていた。 しかも・・・である。大手だから・・・と、言う事はないだろうが、このモデルハウスはスタッフの方が他社に比べて多数いたために(実際このときは、バブル時のリゾート物件の失敗から来る会社としてのミサワホームの経営状態の窮状を少し耳にしていた僕は、・・・“こういった人件費の無駄から減らしてかなきゃいけないんじゃね〜の?”なんて意地悪な見方もほんの少ししてたりしたのだが♪)、息子の遊び相手をしてくれる人もいて、その分、僕らはじっくり話しを聞くことができた。 そんなこんなで話は意外にじっくりと進み、最初の緊張などどこへやら、雑談なども含め、今までの“家が欲しいと思った経緯”から“希望の土地”などの話へと進んでいった。 「探し始めてもう、結構経つんですが、なかなかこれだ!ってのにあたらないんですよね〜。最近では“少しこの辺から遠くても、同じ県内とかならいいかな〜”くらいの考えに変わりつつあることも事実ですね〜」 W辺さんの目が“キラン!!”と光った気がした。 同時に、妻が少し?という感じで僕の方を見た気もした。 土地を探して疲れ始めた頃、妻と僕は途中経過を良く話し合った。 その際、東武東上線沿線は地価が割高である・・・ということに気がつき始め、“50坪以上の土地を買うんだったら、もう少し離れなきゃだめだね〜”なんて事をよく話し合っていた。 だからこそ、てっきり、“妻も半分、今の、実家の近くに土地を買うことは諦めつつある”と勝手に思っていた僕はそのように発言したのであったが、 それが早とちりだった事は後から知ることになるのである。 それはともかく、まあそんな話を長々とし、しかもミサワオリジナルのファイナンシャルソフトでローンやその後の生活のシミュレーションなどをしてもらい、 “土地さえ何とかなれば、僕らも安心して買えるのね〜♪”なんてすっかり営業戦略に乗っかったのかもしれない僕らが、 「さあ、そろそろお茶もコーヒーも飲みすぎたし、帰ろうか?」 と思った頃、W辺さんが言った。 「実は来週の土曜日、この営業所で複数のご家族を集めて、当社で今実際に建設中の大規模分譲地の見学バスツアーがあるんですが、是非いかがですか? いくつものスタートの違う建設中の物件がありますので、おそらく基礎〜上棟から完成物件まで、様々な段階のものが見学できると思いますが。」 別に、「当然昼食などもおつけいたしますよ〜」なんて言葉に惹かれた訳ではないが、 「あ、ぜひぜひ。連れてってください〜♪」 なんて感じで僕らはそのお誘いに乗ることにした。 このバスツアーが僕らの志向性にとって、決定的な何かになることなど、このときは小指の先も思っていなかった。 実際、「出る昼食って、どうせお弁当だよね〜」くらいの事しか、帰りの車の中で、僕らは話していなかったのだから♪ 下手すりゃ会社にいくよりも早起きして、待ち合わせ場所であった住宅公園(クリック!)の駐車場に到着したのは朝9時だった。 駐車場には大型のマイクロバスが既に到着しており、既に何組かの家族らしき人達が座っていた。 ミサワホームの若手社員らしき人が、ジュースやら、ゲームの景品やらお菓子やらを“せっせ”と積みこんでいた。 僕ら二人+息子は、その光景をボケーっと眺めていた。 「わー凄いねぇ!!楽しみだねぇ!」妻がニコニコしながら言った。 「でも、きっとこういう費用も当然、家を建てる人からの儲けから捻出されるんだよね〜」 ・・・僕はどこまでも懐疑的だった。 そんなこんなしているうちに、ニコニコしたW辺さんがやってきて、ボクラを席に案内してくれ、そして1〜3の数字の書かれた札を渡した。 「混んでると1時間近くかかっちゃうかも知れないんで、バスの中でクイズ大会をやります。その時に使うフダですんで〜。もちろん素敵なミサワオリジナルのグッズが賞品につきますんでがんばってくださいね〜」 「そうやって・・・また・・・楽しませちゃって・・・そう簡単にいかんぞ〜!!」・・・僕はどこまでも懐疑的だった。 クイズ大会面白かった〜!!!楽しかった〜!!! 家族対抗!ミサワクイズ合戦! やっぱりボクラ“ウルトラクイズ世代”はクイズ大会に弱いよね〜 惜しくもサムライ一家は8家族中3位で、“ミッフィーのお道具箱”をゲット! 「いや〜意外にいい人ばっかだね〜。ミサワの営業さん♪」 と、言う僕に妻の冷たい視線が突き刺さったが・・・“パパありがとう♪”と、言う感じの、“ミッフィーのお道具箱”を抱きかかえた息子の視線で癒されたので、まあ・・・良しとしよう! と・・・そんなこんなをしている間にバスは目的地に到着した。 「今日は二つの分譲地を見ていただきます。まずは一つ目、東武東上線の坂戸駅から東武越生線(クリック!)で一つ目の一本松から徒歩10〜15分程度の分譲地、 パブリコート鶴ヶ島(クリック!)です」 ここは埼玉県の住宅供給公社が開発をし、区画整理をした、大規模分譲地であった。 全体では数百の区画があるようだったが、様々なハウスメーカーがここをそれぞれ数十の持分で、“建築条件付き土地”として販売しているようだった。 当然ボクラはミサワの“のぼり旗”のたくさん立った分譲地へと先導さんの営業マンに着いていった。 まだ、造成が終わって間もない・・・ような分譲地は、だだっぴろ〜いイメージを醸し出し、まるで“荒野の少年イサム”(クリック!)の舞台のようでもあった。 「こんななんにもないようなところに住んじゃって大丈夫なのかなあ?」 と話していたボクラに、W辺さんが言った。 「民間のやっている分譲地と違って、ここは都市計画に基づく区画整理地ですから〜。民間の場合だと学校や商業施設の誘致が失敗したり、資金計画のミスでなかなか誘致できなかったりしますけど、公的な都市計画の場合は、必ず計画通りにいろいろなものを、スケジュール通りに誘致していきますからね〜。その部分では大丈夫ですよ〜。」 “ふーん”とキョロキョロ周りを見渡すボクラにW辺さんは続けていった。 「次に見に行くトコは、もう出来上がっている分譲地なんですが、これは都市基盤整備公団の分譲地でとてもキレイですよ〜。まあ、こういった整理事業の完成形ということで環境が見れると思いますんで期待してくださいね〜」 そんなわけでここ、一本松ではミサワさんの分譲地(まるでこの見学会のためにスケジュール調整をしたんじゃないか?と思わせるくらい、様々な施工の段階の建物が並んでいた)で、家の出来るまでの説明を熱心に聞いた僕達だった(クリック!)。 この説明は、実物が前にあるだけに非常にリアルで、非常に面白く、ためになった。 妻がここら辺りの区画の価格を聞いてビックリ!なんと50〜60坪の区画で900万円から一千万円前半! 「ちょっとサムライさんの会社では通勤時間が大変ですけどね〜。」 「ちなみに・・・次に見に行く分譲地もそのくらいの価格なんですか?」・・・と聞く僕に、W辺さんは“ニヤリ”と笑いこう言った。 「売り出し当初はそのくらいの価格のところもあったみたいなんですがね〜。やはりその分譲地が出来上がってきて、環境が整っていくと、土地の価格や価値も上昇していくみたいですね〜」 ・・・なるほど・・・そういうもんなのか・・・本当かyo? ・・・と、いうことで様々な思惑を乗せ 、バスは走りだし、次なる目的地、坂戸ニューシティ(クリック!)に着いたのであった。 「とりあえずここでは、この住宅街を自由にご散策ください。あそこの公園でお昼にしますんで、12時半までにはお集まりください♪」 一通り分譲地を歩いた僕らは、息子が乗りたがったシーソーを鋏んで、話し合っていた。 シーソーの場所からは、こんな 整然と並ぶ、住宅街の風景が見えた(クリック!)。 「都市計画内の大規模分譲地っていいね〜」 「やっぱり“ごちゃごちゃ”がイヤだったら、こういった分譲地もひとつの手だよね〜」 「でも・・・こういった分譲地はほとんどが建築条件付きだよね〜」 「でも素敵は素敵だよね〜」 「やばいよな〜。ボクラ・・・、ミサワホームにいいようにやられちゃってない?」 「でもミサワホームって高いんだよね?」 「・・・土地が安ければいいんだよなぁ〜」 秋晴れのいい天気の日だった。 静かな住宅分譲地内の公園で食べるお弁当は“ことのほか”美味しく、息子もいつもよりたくさん食べた。 「では最後に、ミサワの完成している家を一件見に行きましょう!」 ・・・との、営業マンの声に引っ張られるように、僕らはまもなく売りに出されるらしいモデルハウスに入った。 なぜかはわからないが、息子は、この手のモデルハウスに入るとすぐに階段を上って二階に行ってしまう。 で、僕達はそれを追っかけるように、いつも二階から見るハメになるのである。 「ふーん、この家は中二階型なんだね〜」 と、階段をトントントン♪と上がっていった時である・・・。 な・・・なんだぁ!この広い隠し部屋みたいなものは〜!!(クリック!) それが、今じゃすっかり詳しくなった、ミサワホームの特許構造“蔵”(クリック!)との始めての出会いであった。 妻の話によれば、初めて展示場でW辺さんと“お話”をしたとき、そういえばそんな“蔵”構造についてなんとなく言っていた・・・とのこと。 実はそんなこと、一切覚えていなかったのだが・・・ なんかこれ、かっこいいぢゃないか! 秘密基地みたいぢゃないか! いろんなもの、置けちゃうぢゃないか!! と、すっかり僕はその魅力に“クラクラ”してしまっていたのであった。 そしてバスは、最初の集合場所、S住宅展示場へと戻った。 僕らはモデルハウス、ミサワホームの自由設計型商品、“GENIUS都市物語”(クリック!)のリビングルームでお茶をすすっていた。 「少しお時間ありますか〜」というW辺さんの“誘い”にまんまと乗ってしまった格好である(まあヒマだったしね)。 なぜかこの頃から、息子はW辺さんのことを、「しぇんしぇい!」と呼ぶようになっていた。 これは、舌ったらずの球児の高校野球の開会式の真似・・・であるわけはなく、どうも彼の事を、息子は“家の先生”である・・・と勝手に誤解しているらしかった。 まあ、彼も、息子に「しぇんしぇい!」と言われると、 「実は僕、教職免許を持ってるんですよ〜」なんて聞きもしないことをニッコニッコしながら言ってたので、マンザラではなかったのだろう・・・と、推測する。 今日の見学会の感想や、どんな家を建てたいのか?どんなところに住みたいのか?などを雑談のように話しながら、「蔵、いいですね〜!!」な〜んて言葉も途中で挟みつつ、 息子がおもちゃで遊ぶのを、 「床に傷でもつけなきゃいいけどな〜・・・」 なんて感じで横目で見ていたときだった。 「ねえ、どうする?」と、妻が言った。 「???・・・何の話?」 僕はすっかりボーっとしていた。この ミサワの家の2Fリビング(クリック!)、高断熱&高気密だかなんだか知らないが、あまりにも気持ちよく暖かすぎるのである。・・・たしか1Fのドアは開きっぱなしだったのになァ・・・。 「再来週、世田谷にあるミサワホームの中央研究所、 MIFパーク(クリック!)のバス見学ツアーがあるんだって」 「ここからバスで送迎しますよ。昼食もお出しさせていただきます。いろいろ最先端の住宅技術や最先端のモデルハウスとかもありますよ〜」 W辺さん、いいアシストである。 ・・・でこぼこフレンズのくいしんボン(クリック!)じゃないんだから昼食でつられる訳ではないのだが、“研究所”という響きが、理系大学出身の僕の心をくすぐった。 「面白そうですね〜。ぜひ勉強させていただきますよ〜」 僕は素直に頷いた。 さて・・・そろそろ帰りかな?・・・などと思っていたその時、W辺さんが言った。息子はいつの間にか、ソファーで寝ていた。 「サムライさんのいろいろなご希望をお伺いしてると、やはり大規模な分譲地が合っていると思うんですよね〜」 ・・・予算が合えば・・・の話だよ・・・全ては。確かにアメリカはほとんどが大規模分譲地だけどね〜・・・ なんてことを“こっそり”思っていた僕に彼はストレート勝負を仕掛けてきた。 「どうです?物は試しに、今現在売出し中の、都市計画・区画整理事業中のミサワの大規模分譲地を見に行きませんか? もうお客様がお住まいの家も、建設途中の家もありますけど“どんなもんか”だけでも・・・どうです?」 「今お住まいのところの近く・・・と、言う訳ではありませんが、埼玉県内でサムライさんの会社からの通勤時間は今と変わらないところですよ♪ 全ての区画の広さはとても大きくて、たぶんサムライさんのご希望に適うものだと思いますよ〜」 ・・・少し悩んだ。別に行きたくなかったわけではない。 ただ単に、「3週連続ミサワホームかよ〜」っていう違和感だけであった。 本来、違和感があれば断る僕ではあるが、違和感の量が意外に少なかったのか、部屋の暖かさにボーっとしていたのか・・・僕はこう答えた。 「いいですよ♪で、場所はどこですか?」 と、いうわけで僕らは埼玉県東部の吉川市にある大規模分譲地(クリック!)と、 埼玉県の少し上側にある“セキスイハウスとミサワホームだけ”しか建っていない(全ての区画が両社の社有地であるらしい)・・・という全国でも珍しい“らしい”、約230区画の分譲地(クリック!)の見学に、次の日曜日、W辺さんの車で連れて行ってもらうことになった。 思えば、ここが“隠れた”人生のターニングポイントだったのかも知れない。 だけど、それを知るのはまだ先のことだったし、 その決断が将来的に良かったかどうかは、これを書いてる今の時点でも、もちろん“わかんな〜い”なのである。 その後、モデルハウスの玄関で靴を履いていると、W辺さんとともに、所長の“幹久”が見送りにやってきた。 相変わらず、その笑顔と日焼けした顔、そして白い歯が印象的なお人であった。 「しぇんしぇえ!みきひさ!ばいば〜い!!」 と言いかけた息子の口を塞ごうとしたが、到底間に合わなかった。 焦って“幹久”を見たが、彼は“いつも通りのスマイル”で、ボクラに頭を下げていたのであった♪ その日の天気は生憎の曇りだった。そして今にもポツンと来そうな空だった。 僕らは外環をW辺さんのワゴンで飛ばし、まずは吉川の住宅地へと向かっていた。小雨がフロントガラスを少しだけ濡らしていた。 吉川・・・僕には皆目見当のつかない場所だった。三郷の少し上ですよ〜なんて言われても全く持ってピン!と来ない。 そういえば、随分忘れていた事だが、大学生の時、横浜の“レッドロブスター(クリック!)”でバイトをしていた。 その時、吉川っていう凄く小さい女の子がバイト仲間にいたなあ・・・なんてことを思い出した。まあ、どうでもいいことなのだが、その子は凄くマジメな感じなのに、なぜか渋いロックが好きだった。 と、いうわけで、あの当時でいうアンダーグラウンド・ロックが好きだった僕とは、よく音楽の話をした。 彼女の好きなミュージシャンは・・・確か山口富士夫だった(クリック!)。あの伝説のロックバンド“村八分”の重要メンバーだった人である。 そして僕は、山口富士夫率いるティアドロップスのライブに一人で行ったことがある。 彼女の大学の学園祭に、彼のバンドが来るのでチケットを買ったのだが行けなくなった・・・ということで僕が半額くらいで買い取ったのであった。 「そういえば、たしかあのライブも雨だったなあ・・・」 僕はW辺さんのワゴンから、流れる外の景色を見ながら、彼の大名曲「ピッカピカダイアモンド」を“こっそり”口ずさんでいた。 こんなこと、この日に思い出さなければ、きっと一生思い出さなかっただろう。 そうしている間に、車は外環を降り、JR武蔵野線吉川駅の横を通り過ぎようとしていた。 「分譲地は駅から歩いて20−30分ですかね〜。たぶんバスになりますね〜」 運転しているW辺さんが切り出した。 「ここはどういう分譲地なんですか?」僕は見知らぬ町に、あたりをキョロキョロしながら聞いた。 「都市基盤整備公団の区画整理地なんですよ(クリック!)。2000弱の区画がありまして、その中をいくつものハウスメーカーが社有物件化して、切り売りしてるって感じですかね〜。だから分譲地内はいろんなタイプの家がありすぎて、少し統一感には欠ける感じですかね。」 「統一感ね・・・」僕はつぶやいた。でも統一感のある町並みの“究極”は社会主義時代の工業団地だぜ・・・なんてことも思ったのは事実である。 仕事でモスクワにいたとき、そびえ立つ団地群に驚いたことをチョビッと思い出した。まあ、それと分譲地を比べるのもドウカと思うんだか・・・、僕はこのとき、まだそれぐらい、ハウスメーカーの営業マンに“やり込められないように”と、警戒していたんだろうな・・・きっと。 「社有物件って・・・なんす・・・」僕が質問を言い終わらないうちに、W辺さんが答えた。今から思うと、きっとこのことは、言いたくてウズウズしてたんだろうな〜。 「端的に言えば、ミサワの不動産部が持っている土地です。だから仲介料とかはかからないです。他社さんはどうか知りませんが、10万円の申込金を預けていただければ、2週間の仮押えが出来るんですよ。 このお金は“真剣にその土地を検討したい!”っていう意思を表す性格のモンなんで、2週間後に“やっぱりや〜めた!”ってことになったらお返しするモンなんです。これが社有物件のメリットですかね〜。 あと通常、土地の代金は契約したら次の月からローンの返済が始まりますが、社有物件の場合、着工まで支払いを待てる場合がある・・・ってのもメリットですよ〜。家を建ててる時の、家賃と土地のローンの二重払いって結構キツイですからね〜」 「ふ〜ん。・・・ミサワさんがバブルの時買っちゃったリゾートやゴルフ場も社有物件みたいなモンですか?」僕は冗談っぽく聞いてみた。 「住宅だけやってれば良かったんですよね〜。本当に・・・。いまどんどん処理してますからね〜。僕らも頑張りますよ〜」 冗談のつもりだったのだが、その時のW辺さんの口調は、どこかマジメだった。ちょっと意地悪しちゃったかな? 数十社のハウスメーカーの販売小屋の並ぶ大きな空き地に車は停まった。 僕等3人+W辺さんは“まるでお散歩のように”住宅街を歩き回った。 たしかに、かなり大きな分譲地だった。単純に歩いて駅まで30分・・・とはいっても・・・この分譲地の端から端まででもそのくらいの時間はかかりそうだった。 実際、こういった分譲地は駅などの遠くから販売されていくことが多いらしい。 当然、そのほうが“売れ残り”の土地が少なくなるからだろう。 幸いにもミサワの今回販売の社有地は、わりと駅まで行くバス停には近い方のエリアだったが。 思ったよりも区画は広かった。そして既に様々な公共施設や商業施設が誘致され、営業を開始していた。 様々なハウスメーカーが様々なを建てているため、区画の大きさも意外とまちまちだったり、(庶民版の)住宅展示場のようにいろんな種類の家が立っていた。 「なるほどね〜。これが統一感に欠けるってことなのね〜」 妻は一人で納得していた。僕はそれぞれの家の庭が、意外と広く、一生懸命手入れされているところが気に入っていた。 ところで・・・と、妻が切り出した。 「前にも言ったんですが、うちの父親が非常に地盤を気にするんですが、ここって地名にも“川”って字がつきますが、地盤はどうなんですか?」 「正直いってあんまりよくないですね〜。だからミサワで建てて頂く時は、必ず地盤改良工事が必要になりますね〜。数十万かかると思っていただければいいですが。 まあ、昔からよく“水に関係した字”の付く地名の所は地盤が弱いとか言われますけどね〜。それよりも整地の際の問題だとは思うんですがね〜」 それを聞いて、少々妻のモチベーションはダウンしたようだった。 それ以前に、妻は、駅に行くのにバス・・・というのに少し引っかかっていたようだ。 子供の頃から駅前に住んでいた妻と、バス路線が非常に多く(クリック!)、バスでの通学や通勤、遊びに行くのが“ほぼ当たり前”な横浜育ちの僕との、ここが一番“感覚が違う”ところだった。 だって、僕は高校通学の時は片道で2本もバスに乗っていたんだから。 「さて、それじゃあもう一つの分譲地に行きましょうか?ここから1時間弱かかると思いますんで、途中で昼飯を食べましょう!」 と、ボクラはまたW辺さんのワゴン車へと向かった。 すっかり慣れた息子は、「しぇんしぇ〜い!!」と叫びながら、W辺さんと車まで“かけっこ”をしていた。 ポツン!と、僕の顔に雨粒が当たった。「降らなきゃいいなあ・・・」と思いながら僕も息子を追って駈けだした。 ボクラ一行は、鞣革工場・・・という抜群のロケーションの横のうどん屋さんでお昼飯を(ミサワホームさんの奢りで)食べた後、北へ県道をひた走った。 息子はすっかり寝ていた。 埼玉県北東部・・・。僕には全く予測のつかない場所だった。 横浜に住んでいた時の埼玉県の上のほうのイメージはこんな感じ(クリック!)。 それよりは少しは都市だろう・・・くらいに、すでに埼玉県南西部に3年のキャリアを持つ“僕”は思っていた。 チラチラ・・・と田んぼや畑がビルなどの間から覗けるようになってきた。 利根川の支流なんだろうな・・・ボクラを乗せた車は小さな川を何本か通り過ぎていった。 すっかりキョロキョロ(クリック!)しながら僕は言った。 「お昼ご飯、ご馳走になっちゃってよろしいんでしょうか?申し訳ございません〜」 間髪いれずにW辺さんが答えた。 「いや、僕のお金じゃなくてミサワのお金ですから〜。僕もこうやってお客さんと食べれると経費になるんで嬉しいんですよ。だからお気を使わずに〜」 ・・・ボクラ広告業界での接待などでも良く使われる、お客さんから「お金払いますよ〜」 と、言われた時にやんわり 断る為の、大人の常套句だった。 そんなことをしている間にボクラは目的地の住宅街に到着した。 車はJRの“それほど古くない”駅の前にあるダイエー(クリック!)の横を通り、区画整理計画のシンボル 駅前の広場(クリック!)を通り抜け、美しく整理された、 歩道付きの道(クリック!)を通り、駅から徒歩10分の住宅街(クリック!)へ向かった。 但し、その駅から住宅街までの道沿いは、商業地区になるべく、3年後の完成に向けての“まだまだ開発・整地中!”の段階であり、以前別の開発中の分譲地を見たときにも思ったことだが、まるで“荒野の少年イサム”だった。 いや、その区画整理地を囲むような大きな第一次産業群(笑)を鑑みれば、 イサムというよりは・・・僕の大好きだった“寺山修司”で・・・語呂だけで言えば“田園に死す”(クリック!)・・・と、いうのは少し言い過ぎだね♪ (田園に死すのストーリーはこちら!・・・クリック!) すでに1年半ほど前から作られているこの“第一種低層住宅地”は、それなりの街並みを醸し出していた(クリック!)。 「ここは全国でも珍しい、セキスイとミサワだけで作った町なんですよ。だから街並みは非常に統一されてると思います。しかも貯水の為の大きな池のある公園が近くに数ヶ所あって、非常にいい雰囲気ですよ〜」 W辺さんがとにかく良く喋った。 ボクラはこの街を隅から隅まで散歩した。 確かに静かでいい住宅街だった。車がほとんど通らない、住宅地内の道路では、子供がカッパを着て遊んでいた。30代、40代の単世代家族が多いようだった。 時たま、「ガタンガタ〜ン ガタンガタ〜ン♪」と電車の音が遠くから聞こえた。 小雨が降る中でのお散歩は、それほど気持ちよいものではなかった。 「でも・・・晴れの日は何でも良く見えますからね。わざわざ雨の日に見たい!っていうお客さんもいるくらいですから」 ・・・そんなW辺さんの必死の営業トークは、少し微笑ましいものがあったような・・・なかったような・・・。 駅に近い方のブロック(クリック!)では、ミサワの社有地は2区画空いているそうだった。 一区画は北側道路の53坪(クリック!)、もう一区画は敷地面積45坪程度の西側道路、線路横のモデルハウスだった。 相変わらずモデルハウスは“オプションバリバリ!”で素敵だった。 部屋に入ってすぐに蔵を堪能し、その後、その蔵のおかげで天井高が3.4mになっているリビングでボクラはまどろみながら、はじめて見る電動シャッターで遊んでいた。 「シャッター閉めても、さすがにこれだけ電車の高架に近いと、少し音が気になるね」 妻がW辺さんに聞こえないように、僕に言った。 「ここだけの話なんですがね、このモデルハウス、まだオープンには販売してないんですよ。昨日、部長にこっそり値段を聞いてきたんですけど、3800位で売るみたいなんですよ〜。なんか妙にオプションがたくさんついていて、僕なんか“おかしいなあ〜?”って思っちゃうくらいなんですけどね〜。お得ですよ〜これは」 さっき、ボクラが蔵で遊んでいた時1階から微妙に聞こえた、W辺さんの「あれ〜おかしいなあ?」という、独り言はこれの布石だったのか? これが戦略的営業による演技だったら、それはそれで凄いぞ!W辺君!。 そんなわけで、ボクラはまた車に乗り、雨の県道を自宅へと戻っていた。 モデルルームの“お得さ”を喋るW辺さんを尻目に、僕は北側道路の土地のことを考えていた。 その区画は間口が約11メートル、奥行きが約17メートルと少々縦長だった。 「あれなら、南側に大きい庭が取れるよなあ・・・。しかもあの形状なら、前の家の日陰も、家までは届かないよなあ・・・」 一般的に言えば、南北で区画されている分譲地では当然南道路の土地のほうが高く設定される。 但し、その場合、カーポートや玄関、アプローチなどが当然南側に来ることによって、庭の利用スペースが若干少なくなってしまうのである。 アメリカ式の“バックヤード”が欲しかった僕は、実は北側道路の敷地ってリーズナブルでいいかもしれないなあ・・・と、思っていたのである。 雨が大降りになってきた。 その時、運転しているW辺さんが、少し言いにくそうに言った。 「どうでした?気に入られたご様子ですし・・・、どちらかを・・・2週間真剣にご検討されてみませんか?申込金を入れて・・・」 「ゑ??」 不意をつかれたボクラは、一斉に大声を出した。僕の子供の頃なら、『ハッピーアイスクリーム!』(クリック!)と言ってるところである。 「いや・・・とりあえず・・・ら・・・来週のMIFパーク見学会の時に、“どうするか”お返事しますよ!ま・・・まだ“どうしよっかな〜”って悩んでる市街化調整区域の既存宅地もありますし・・・」 なんか急に話がリアルになってあたふた・・・であった。 家に帰ってすぐ妻と今日の物件についての話をした。 W辺さんは、明日の夕方から、営業成績優秀者のインセンティブで“ハワイ旅行”に4日間ほど行くらしかった。 「では、来週MIFパークでお話しましょう!」 と、彼は帰っていった。 「ミサワとセキスイの街、良かったね」僕が言った。 「そうね〜。やっぱり分譲地はいいね〜」妻が言った。 「しかもあのモデルハウス、いいんじゃない?」僕が言った。 「また、何イッテンノ?モデルハウスは嫌だっちゅーの!しかも電車の高架の横じゃん!」妻が言った。 「だって、まだオープンになってない話だから・・・もしかしたら凄いお得物件なのかもよ!W辺さんも“部長がこっそり”って言ってたし・・・」僕が言った。 妻はフッ♪と笑って、冷たく言った。 「みんなにそう言ってるに・・・決まってるでしょ♪」 当然ではあるが、ミサワホームさんと物件を見に行った翌日・・・月曜日は普段通り会社にいた。 デスクに座り、普段通りに仕事・・・の振りをして“インターネットでネットサーフィン”をしていた時、 携帯電話が、プライドヘビー級チャンピオン“エメ―リヤエンコ・ヒョ―ドル”の入場曲の着メロを鳴らした。 「聞いて!聞いて〜!!ビックリ!!」 妻の声だった。僕が会社にいるときに彼女が電話してくるのは非常に珍しいことである。 「W辺さんが昼頃家に来たの〜」 あれ・・・?W辺さんは今日からハワイ(クリック!)だったはずでは?一体何事だ??? 「昨日の帰り道に車の中で、例の・・・“検討してる”ってちょっと言っちゃった・・・市街化調整区域の物件・・・なんだけど・・・」 「お〜!なんか動きあった?ついに不動産屋が、いろんな役所の資料持ってきたの?」 「違うのよ〜。なんかW辺さんが今日の朝一番で役所に行って来てくれたらしくて・・・、いろんな登記簿なんかの資料とか持って来てくれたの。その上でこの土地に対する評価とかをしてきたのよ〜。」 「え?W辺さんが?ハワイ行く前に?わざわざ???」 W辺さんはその資料を妻に手渡しした後、「それではハワイへ行ってきます〜♪あろは〜♪」 とハワイへと旅立って行ったらしい。 ・・・当然・・・W辺さんのその土地に対する評価は“私にはお勧めできません”だった。 “いつ市街化になるか都市計画がはっきりしていない点” “個別浄化槽を利用している点” “急激に販売価格を下げている点” “前の道があまりに狭く、未舗装で電灯も無い点” “しかもその道が大通りへの抜け道となっている点” 等が挙げられていたらしい。 ただ、そんな数ある理由よりも、ボクラがビックリしたのは、その営業の熱意である。 “契約前の営業マンに熱意があるのは当たり前じゃないか” そんなことはわかってるつもりだった。 ハウスメーカーのディーラーの営業マンは、“多かれ少なかれ”歩合制だって事もW辺さんから聞いて知っていた。 でも・・・ボクラがナイーブだったのかもしれないが、その時、実際のその熱意に触れて、ちょっと心がグラグラしてしまったのは動かしようの無い事実である。 そしてボクラは、とりあえず、“例の”市街化調整区域の中古物件を検討物件リストから外し、 「・・・で、ミサワの土地、どうしようかああああああああああ」 と、悩みつづけるのであった。 第5話へとつづく(クリック!) |
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