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サムライ一家の 〜そしてボクラは家を建てるのだ〜 /モクジのページへ

第3話:電車で、車で。西へ東へ不動産見学の日々


「知り合いの不動産屋と試しに物件見に行こう」
お義父さんから声をかけられたのは、ある残暑厳しい日だった。

「少し遠いんだけど、坂戸の駅近くにいい中古物件があるらしいんだよ」
「坂戸・・・ってどこでしょう?」
普段ほとんど電車に乗らないお義父さんは少々悩みながら言った。

「・・・川越のちょっと先だな。築15年だけど、土地は80坪だよ。広いぞ〜。しかもまだ売りに出す前の物件らしいんだ。本来ならば、家を解体しちゃって、40坪づつに切って売ろうかな?ってとこらしいんだけどな。だから、土地代だけでいいってさ。消費税はかからなくて3200万でどう?って♪」

このときまで僕は知らなかったのだが、家を買う時には基本的には消費税がかかるらしい(こりゃまた大きな消費税になっちゃうよね〜)
ところが、土地取引は非課税なのだ。そこで築15年などの中古物件は“基本的に土地取引として売買”することによって、消費税がかからなくなってしまうらしいのだ。

逆にいえば・・・これもこの時知ったのだが、家は築15年もしたら“市場的には”無価値になってしまうものらしいのだ。 え〜!!2000万以上もするもんが15年で無価値なの〜??
ちょっとビックリであった。

そんなわけで見に行ったのがこの物件である。(クリック!)

・・・離れに茶室まであるお屋敷だった。正にいわゆる“伝統的な技術”をふんだんに駆使した日本家屋だった。
いきなり“初めて”見にいった物件がこれでは・・・判断のつけようがないってのが僕の正直な所だった。
と、いうわけで僕は72点、妻は40点をつけた。
(お義父さんから100点なんて求めたってムリなんだから、お互いが80点以上つけれる物件を真剣に検討する物件としろ・・・と、アドバイスを受けたのです)

ちなみに、妻の40点の理由は、「土地が広いのはいいが、家が大きすぎる・・・。これじゃあ掃除も大変!!」
僕も「通勤も100分くらいかかっちゃうしね〜」と、いうことでこの物件はパスすることにした。

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次に見に行ったのは、大泉学園にあるセキスイ軽量鉄骨系の築15年の家だった。
敷地面積50坪、大泉学園駅よりバスで15分程度の“いわゆる”下町住宅街である。

実はこの物件、妻は数日前の平日に、お義父さんと一回“チラッと”見に行ったらしかった。

「実はねえ、凄く良かったの〜♪で、次の土曜日に中も見せてくれるらしいから行こう!実は私的には80点だった!!建物はゼロで土地の値段だけしか要らないらしくて3600万円だって♪」

え〜たった2件目でもう80点かよ〜♪マジかよ〜♪そんなにいいのかよ〜♪一体大泉学園ってどんなトコよ〜♪
と、言う感じで土曜日、意気揚揚とお義父さんと一緒に見学にいったのであった。


・・・ちょっと住宅密集地だなあ・・・

決して“ボンボン”と言うわけではないのであるが、横浜のわりと幅広く(隣の家とも割と余裕を持った間のある) 区画された実家で育った僕には、この東京の下町チックな密集度合いは少々気にはなったのだが、
「まあ、こういったものにも多少は目を瞑らなきゃいかんだろうね♪」
と、言う感じで、まだ“揚々”として実際の家を見に行った。

で、実際の家がこれである(クリック!)

お〜なんか「いいじゃん!いいじゃん!!」と、横浜弁丸出しで、案内をしてくれている不動産屋の“バーブ佐竹(クリック!)”のそっくりさんの説明を家の前で聞いていた。

セキスイの家なんでしっかりしてますよ〜。壁紙とか新しくして引渡し出来るんで、新品同様で住めますよ〜」
「へえ、セキスイってのはそんなにいいんですか〜」
「いいですよ〜。まあ一番いのは旭化成だけどね〜」
(ズルッ)「・・・ところで、この家は駐車場がないんですね・・・」

そうなのだ。この家はいわゆる5m私道の“どんつき”にあり、その5m私道を隣の家と分け合っているのである。つまり間口は2メートル強と非常に狭い。

「この玄関を取っ払っちゃえば、車は入りますよ〜。まあ・・・たまたまこの家は車がなかったようでこういった玄関にしてるけどね〜」
「・・・と、いうことはリビングの前にドーンと車がくる訳ですね・・・。しかも出る時はバックですね・・・」

とりあえずその玄関を入って庭に入った。
庭の角はこんな感じだった(クリック!)

「ずいぶん隣の家が接近してるんですね〜(なんか囲まれてるみたい)。しかも50坪・・・という割には意外に狭く感じるもんなんですね〜」

・・・その訳は、家の後ろに回って判明した。
家が大きい・・・と、いうのも確かに理由の一つではあるのだが、この家、後ろ側の土地スペースを何故か2.5メートルほどとっていたのである(通常は1メートルちょぼちょぼらしい)。

「元々この家が建った時は、後ろからも出入りが出来たらしいんですよね〜。今は人の家になっちゃってるところ(後方の家)が自分の土地だったらしくて。その名残で後ろの庭を少々広くしたんだろうね〜。もったいないよね〜

・・・非常に正直な“バーブ佐竹”であった。

さらに家の中を見せてもらった(クリック!)
若干、汚れや、ドカーンと置かれた仏壇などは気になったが、「まあクロスとかは張替えで引渡しらしいしね〜」と、僕はあまりそこは気に留めてなかった。
それよりも、“売り出し中の中古物件”というものの内部に入ったのは初めてだったが、
(よく考えれば当たり前のことなのかも知れないが)まだ持ち主が普段通りに生活をしていたことに、ちょっとビックリ!だった。

なぜか内部を見学している間、妻は割と無口であった。

一通り見学し、“バーブ佐竹”と別れた後、妻が話しかけてきた。
「何点?」
「う〜ん、建物はいいんだけどなあ・・・折角の50坪なのに庭が狭いのと、隣あってる家との密集度合いが高すぎるなあ・・・。う〜ん!!60点!!

妻は黙っていた。

「で、そちらは何点?」

僕が聞くと妻は言った。
「50点・・・」

?????????????????????????!!

「え?80点じゃなかったの?なんでいきなり50点???」
「いろいろマイナス要因はあったんだけど・・・。でもやっぱり新築がいいなあ・・・。なんかいろいろ古い感じが・・・。他人の気配がしそうで・・・。それと下町に新しく入るのはいろいろ大変そう・・・」

「あんたそれと同じ事、結婚して住むトコ探してた時も言ってたじゃ〜ん!!でも築2年のマンションでも住んでみたら割といいね〜なんて言ってたじゃ〜ん!!」

「それでも新築がいいの!!!」

・・・と、いうことでこの物件もパスが決定した。それと同時にこれからは“新築”もしくは“更地”を探すことが決定されたのであった。


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その後、僕等は毎週必ず数件の物件を見て廻った。
そしてその数は50にもなっていた。

最初はもう“住宅探し”の素人も素人だった僕等も、次第に埼玉県東武東上線付近の不動産事情というものが、おぼろげながら見えてきた。
そして、具体的に言葉にはなかなか表しづらかったのだが・・・、それでも理想とする住処の像が次第にぼんやりと見えてきたのである。

たとえば・・・というわけであるが、見回った中からのほんの一部をここに紹介してみよう。


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上福岡の駅から徒歩20分くらいのところにリクルートコスモスが、“七彩の街”というコンセプトで住宅地を開発していた(クリック!)
ここは、高層マンションと低層テラスハウスと一戸建て住宅が複合的に構成される、とても綺麗な区画整理分譲地だった。

と言うことで、建売ではあるが、4千数百万円台〜5千万円台の新築一戸建てを見に行った時のことである。

初めて出会う綺麗な、リクルートの営業の女性に僕は言った。
「ずいぶん家の隣同士の隙間がないんですね〜。敷地は30数坪ですかぁ。なんか、二階の窓を開けたらお隣さんと“こんにちわ〜”って感じですね〜」

すると、その麗しき女性は笑みを絶やさずこう言ったのである。
「最近はマンション感覚で一戸建てをご購入される方が多いですからね〜。バルコニーを庭感覚で使われる方も多いですよ〜」

・・・どうしても“僕の我儘な価値観”には合わなかった。
だったらマンション買うよなあ・・・。セキュリティとか景観の面から考えても・・・所有権にはそんなに拘ってるつもりはないしなあ・・・

但し、ここで大手のデベロッパーの営業と話したことは、ボクラにとってはとても有意義なことだった。

まあ、そこまで何も知らなかったボクラの無知さもどうか?と、言う感じなのだが、
“建築条件付土地とは何か?”や、“こういった分譲地の開発や販売の仕組み”“家にかかる広告に書いてある値段以外の費用・・・諸費用等もそうだが、外構/エクステリアの費用やカーテン、照明の費用”さらに“住宅ローンの仕組み”までいろいろと、懇切丁寧に説明してくれた。

そして、この東武東上線沿いは、地元の工務店や不動産屋さんの力が非常に強く、なかなか大手が大規模開発しにくい土地柄である・・・と、いう事。
さらに・・・小規模な開発が多い・・・と、いうことは儲けを多くする(つまり開発者にとっては土地よりも建築物で設けるビジネスモデルが多いそうです)ために、32坪程度の住宅金融公庫の基準ギリギリで区画される分譲地が多いということ。

その他いろいろなことをタダで教わって、僕らは買う気を全く起こさずに、現地を後にしたのであった。
(息子だけは、モデルルームにあったオモチャを非常に気に入ったらしく、「帰りたくないでちゅ〜!!」と大泣きだったが)


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上福岡とふじみ野(ここ数年で駅ごと開発された、急行の停まる駅、ふじみ野まで徒歩●分!と広告に書けるだけで、その価値はポン!と上がるそうである。でもどう見ても隣の駅の方が近くても、ふじみ野まで徒歩25分!とか書かれている広告も多数あった・・・)の間くらい(どちらの駅からも歩いて20-30分くらいなのかな?)に近藤建設が開発している分譲地(既に第一期区画は人が住んでおり、第二期工事分譲地を造成中でした)を見に行った時のことである。

ここも35坪程度に全ての区画が切られており、僕的には若干狭いなあ・・・と、言う感じだった。
しかも駅までが相当遠く、「う〜ん・・・」であった。

値段は、土地も建築費も坪60〜70万・・・といったところであり、まあそこそこだったのだが。

但し、“モデルハウスがいずれ売り出されるのだが、設備などがそっくりそのままついて、お得な値段で!!”と聞いたとき、僕は瞬間色めきたってしまった。

「ロフトもカーテンも照明もついちゃって・・・、これってお得なのでは??!!」

但し、この僕の盛り上がりの炎は、当日夜の妻の
「なんであなたは、そうやってお得!とかの話があると、今まで言ってた希望の家と全然違っちゃってもそんなに盛り上がっちゃうのよ〜??私は折角の住宅購入なのに、モデルルームなんかを買うのは絶対イヤです!」 という一声で、すっかり沈静化してしまったが。

ところでたまたま、この分譲地にボクラが行ったとき、全ての営業マンが接客中で、その分譲地の全体のプランをした設計士の方が造成地やモデルルームを歩きながらボクラの相手をしてくれた。

そこで僕は、今まで誰にも聞けなかったことをいろいろ質問してみた。

「アメリカの人たちはほとんど中古の家を買うじゃないですか。で、家のほうもしっかりレンガなどで造られていて、ちゃんとリフォームされて何十年も・・・下手すりゃ100年以上もっちゃう。それどころか中古の家のほうが価値が高い位じゃないですか。どうして日本の家は、15年も経つと価値がなくなっちゃうし、木造のみで作られていくんですか?」

その設計士の方は、普段あまりこういった形で人と接触してないのかな?
少しドモり、顔を赤くしながら、それでも優しく教えてくれた。

それには大きく二つ理由がありますね。ひとつは地震。このために、日本の家は地震への耐久性を上げる為に、あえて頑丈過ぎることを求めないようになってるんだと思います。そしてもうひとつは、戦後の国の政策ですね。住宅建設ってのは非常にビジネスの裾野が広く、景気高揚策としては非常にいいんですね。だから割と作っては建て替えていく・・・という部分を国が政策として推し進めて行ったことが関係してるのかなあ・・・と思いますよ。」

「最近北米の輸入住宅ってあるじゃないですか(こんなのですね♪クリック!)こういうのはどうなんですかね?」

「一概には言えないですね〜。好き好きですからね〜。でも、確かに、日本の風土には、日本型の建築があってることは確かでしょうね〜。それと、北米式の輸入住宅は、アメリカの広大な分譲地で見るからいい・・・ってのもありますよ〜。日本型の住宅が並ぶ分譲地で一見だけ北米式の家・・・ってのも少々異質感が出ちゃう場合がありますしね〜」

これは全くその通りだった。

後に、坂戸のさらに一駅先の大型都市計画地域の分譲地を見に行った時、建ち並ぶ住宅の中に一軒だけアメリカンハウスがあったのだが、それは少々安っぽく僕には見えてしまった(凄く大きな敷地に大きな建坪ならいいんでしょうがね〜)


この物件の帰り、妻がポツンと呟いた言葉が、僕らの大きな指針のひとつ担った気がする。

「やっぱり・・・良い出物の物件を町の中で探すのもいいけど、こうした新しい分譲地って魅力あるね〜。道路もひろくとられてるし。入居する人も新しくくる人たちばかりだし。それにみんなこうやって何十件も見て検討してるんだろうから、きっと決める時には年齢も価値観も似た人が入ってくるんだろうしね〜」

その意見には僕も納得だった。

但し、分譲地はなんとなく不動産屋や工務店の商売の導線上にあり、“お得感”に欠けるなあ・・・と思っていた僕は、そうは言っても“建築条件付の分譲地”だけじゃないだろう!!と思っていたのも事実ではあった。


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そんなある日、お義父さんから電話があった。
「知り合いの不動産屋から話があって、鶴瀬駅から歩いて直ぐのところに、建築条件無しの土地の出物があるらしいんだ。環境があまり良くないからどうかな〜って思うんだけど、一回見てきたら?地盤は良いトコなんだけどね」

その土地はこれだった(クリック!)

敷地面積40坪、南玄関、土地代3000万円だった。但しお義父さんが言うには“頼めばあと500万は安くさせれると思う”ということだった。

40坪の更地って囲まれてるとこんなに狭いんだ〜!
ってのが、僕の最初の印象だったのだが、まあそれはおいといて・・・。

当初お義父さんが電話で“環境が悪い”と言っていた時、実は意味がよく分からなかった。

行ってみて分かった。

行くまでの道が狭すぎて、車を使うには恐ろしく不便。そしてそのゴミゴミしたところに木造の古いアパートが多く、住んでいる人達のマナーがあまり良く無さそう(ゴミの収集日以外なのにゴミが出してあったり・・・)。さらに隣はちょっとやばそうなアパート(どうやばいかはご想像にお任せしますが)

・・・ここを“ランドセル背負った息子が歩くことは考えづらいよな〜”ということでここはお義父さんの助言通り却下した。


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まだまだ物件探しは続いていた。
物件まわりの楽しみや、営業マンとの対応の仕方・・・も当初よりはかなり上手くなってきた。

そしてさらにいろいろなことが分かりはじめて来ていた。

まず、ボクラが住んでいる近辺にはほとんど建築条件のない土地はないことが分かった。

さらに、とんでもなくお金でも持ってないことには50坪以上の注文住宅用のマッ更な土地などこの辺ではムリそうだ・・・ということも分かってきた。と、いうよりそれ以前に川越よりさらに遠くに行かないと、50坪以上の注文住宅をボクラが建てれる場所など無いような気がしていた。

「どこかにお得なデモノはないのかよ〜!!」

月に向かって吼えた日も、一度や二度では無くなっていた。

そんなある日のことである。

お義父さんから電話があった。
「まだ買えるかどうか判らないんだけどさ、農家の人が相続の関係で、自分の葡萄畑を売りたがってるみたいなんだ。基本的には市街化調整区域なんだけどね・・・。」

キター!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

市街化調整区域!!!
この頃には僕もちょっとだけ、詳しくなってきていた。

簡単に言うとこんな感じである(少し間違っているかも知れないですがお許しください)

基本的に住宅が建つところは条例によって市街化区域として線引きされたところである。

そして市街化調整区域とは、農地等がこれに該当し、基本的には勝手に家を建てちゃいけませんよ♪・・・と、県からお達しの出ているところである。

かつて昭和40年代のころ、まだこの区分けが無かった頃は皆さんバカスカと家を建てたり、土地を売ったりしていたらしい。
大雑把に言えば、そのおかげで下水や排水などの市政によるインフラが追いついていかなくなってしまったらしいのだ。

そこで、行政としてはちゃんとした区分けをし、生活基盤の充実を図ったそうなのである・・・・が・・・・、
当然、その線引き前にそこに住んでいた人(主に農家の人や農家の親戚筋などなんでしょうね)にとっては、そんな勝手な押し付けは“いい迷惑”である。

そこで、そんな元々人が住んでいた所を“市街化調整区域内の既存宅地”と呼び、そこだけは普通に売買(人が住むことを条件で)出来るようにされているそうなのである。

まあ、その既存宅地もその他にもいろんな条件が付いており、一概にこれです!とはいえないらしいのだが、中には普通の宅地のように扱える物件も数多く存在しているらしい。

しかも当然色々な条件が付いていたり(自分は買えても、もし転売する時さらに条件が厳しくなっちゃったり・・・ね)“な〜んか、面倒くさそう♪”と、いうことで一般市民にも(そして一部の銀行にも)敬遠されることが多く、かなりのお値打ち価格の場合が多いのである
(もしも・・・の話なのだが、実は最近既存宅地という指定は条例で消滅の方向になっている。逆にいえば市政の都市計画課にて市街化が図られている・・・と、言うことである。と、なればもしも・・・である。買った調整区域が市街化区域になれば、土地の価値は倍増!!である。さらに付け加えれば、農地の中で昔から人が住んでいるところは、一般的に地盤が強固だ、と言われている)

もしや・・・これが俗に言うお得物件では!?では!?では!??????!!!!ついに・・・・来たのか!!!!!!?

「どんな土地なんですか?」

「ふじみ野液から歩いて10分くらいの約70坪で、たぶん俺の予想では2000万くらいで売るんじゃねえかな〜?もう少し安くさせれるかな〜。でもねえ、ちょっと問題があってね〜」

「ももももも・・・・問題?なんでしょう?」

「なんか最近条例が変わったらしくてね。今年の初めに県に売買に関する申請をしてないと、土地を売るのに条件が付きそうナンダヨ。それがクリアになってないらしいんだわ。だから今それを確認させてるんだけど、とりあえず見に行ってみたら?」

と、いうことで見に行ったのがこの土地である(クリック!)

「いいじゃん!!」

凄まじい大きい農家の方の土地の一部だった。母屋は異様な立派な門に囲まれていた。
ボクラは楽しみにしてお義父さんからの結果を待っていた。

そして1週間後、電話があった。
「あれねえ、駄目だったわ〜。あそこの町内に親戚が住んでいる人しか買うこと出来ないらしいんだわ。残念だけどね〜。しょうがないわな〜」

これはかなり“がっくり”だった。


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そして季節は秋の気配になってきていた。

噂では僕の弟も横浜で家を探しているらしかった。
弟に電話で様子を聞いてみたところ、「もう100件以上見てるよ〜」とのこと。

やっぱりそのくらい見ないと駄目なのかな〜。

すでにそんな気分になっていた。
探す範囲も、気のせいではなく、次第に広範囲になっていっていた。

たぶん、結構熱くなっていたんだと思う。
僕も、そして妻さえも、僕の通勤範囲で物件の選択をするようになってきていた。

当初あった、今の家の近く・・・ということは、お互いあまり口に出さなくなってきていた。

宝くじでも当たんねえかな〜。

そんな時、家から駅から離れるように歩いて30分くらいのところに、一件の市街化調整区域内の既存宅地の紹介を受けた。

場所はすっかり畑の中。ポツーンと一軒と言った感じである。
しかも古い築25年の建物はまだ残っており、もし新築を立てるなら解体しなければならない。

よし!とりあえず見に行ってみよう!そして、今度は自分達で市役所や県庁に行き、その土地のことを調べてみよう!

ポイントは“自分の家が自由に建てれるのか”“もし僕に何かあった場合に自由に売れるのか、そして次の人はまた家を建てれるのか?”さらに“下水や今後の市街化計画はどうなっているのか?”だ!!

物件はこれだった(クリック!)。敷地面積は65坪であった。

畑の真ん中にあるため、街灯などは無く、少々寂しい感じだった。
値段もなぜかどんどん下がり、最初は中古物件として3800万だったのが、なぜか土地だけの値段で2400万円まで下がっていった。

但し、若干“家探し”に疲れの見えてきていた僕らにとって、役所まで行って確認する為の腰は重く、なかなか上がらなかった。

そして、その物件を見に行ってから2週間ほどが足早に経過していた。

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ある晩、息子に聞いてみた。
「家を買うんだったら、どんな家がいい?」

息子は言った。
「家、買わなくていいじゃ〜ん。だって、僕の家、こ〜んなに・・・こ〜んなに大きいじゃ〜ん♪」

息子は、今ボクラが住んでいるマンション全てが自分の家と誤解していた。

そしてその誤解は、今でも続いているのである・・・・。

つづく(クリック!)



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